『方舟を燃やす』角田光代(書評)
【11月22日 記】 角田光代の小説を読むのは実に久しぶり。2016年の『対岸の彼女』以来ということになる。
「以前は人生の暗い面ばかり描いてきたが、あることがきっかけで今では人の希望を描くようになった」みたいなことを角田自身が言っているのを何かで読んだが、久しぶりに読んでみると、確かにそういう部分もあるような気もするが、あんまり変わっていないような気もする。
この小説は柳原飛馬を主人公とする話と望月不三子を主人公とする話が交互に出てくる。飛馬は少年時代から、不三子は高校時代から始まり、ともに人生の長い期間が描かれている。
そこには(以前の?)角田光代らしい、人生におけるトラウマめいた事件を描いた部分も多い。
2人ともある意味でなんとか他人の役に立ちたい、誰かを助けたいと思うのだが、そんなには上手く運ばないのである。
で、この2人の話が却々繋がらない。読んでいる途中で、一体いつになったら繋がるのかとじれてしまう。
しかも、飛馬のエピソードはどれも結構面白いのだが、不三子のほうは(ひょっとしたら僕が男だからかもしれないが)それほど面白くない。
その2人が漸く繋がるのが 20世紀も終わりごろになっての「こども食堂」である。飛馬は役所のスタッフとして、不三子は子どもたちがみんな自分の許を離れて行ってしまったあと、何となく引きずり込まれたボランティア・スタッフとして。
しかし、漸く2人が繋がったのだが、そこから先がまたあまり面白くないのである。
「こども食堂」の運営をめぐって、2人の挫折感や諦観と、何を信じて良いのか分からないという戸惑い、でも、やっぱり誰かを助けたいという空回りする気持ち。コロナ禍による閉塞感も描かれるのだが、しかし、今ひとつ盛り上がらない。
これは終盤によっぽど大きな展開を持ってこないと、この小説は終われないぞ──と思っていたら、大型台風が東京を襲うシーンから俄に作者の筆が走り出したのが判った。
結局やっぱり派手なことは何も起こらずに小説は幕を閉じるのだが、しかし、この最後のパートで著者の力量はしっかりと発揮されている。
元来、派手な”斬れる表現”が書けるような作家ではなく、割合平坦な表現を重ねながら、そこに合わせて作家の思いを重ね、練り込んでくるような作家である。
そういう意味では角田光代はやっぱり角田光代なのだなあという気がした。
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