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Saturday, November 30, 2024

映画『雨の中の慾情』

【11月30日 記】 映画『雨の中の慾情』を観てきた。

片山慎三監督の作品を初めて観たのは『岬の兄妹』で、とんでもない映画を撮る監督だと仰天した。その次の『さがす』もやばかった。その片山がつげ義春の漫画を映画化するという。これまたやばい組合せだ。何が何でも観たいと思った。

いつもの『NO MORE 映画泥棒』が終わると、画面はいきなり怒涛のコラージュである。猿の後尾やら、なんか昔の映画の一部やら、何の脈略もないが、なんかすごい。製作や配給の会社のロゴもごちゃ混ぜに入っていたのだが、結局どの部分がロゴだったのかよく分からないうちに終わってしまった。

そして冒頭のシーン。土砂降りの雷雨の中、かろうじて屋根のあるバス停で濡れそぼったスカートを絞って水を切っている女。そこに同じくびしょ濡れになって駆け込んできた義男(成田凌)。

義男は女に金属は危ないと言って指輪を外させる。そして、洋服の金属ボタンも、ブラのホックも危ないと言って脱がせ、やがてパンツもナイロンだから静電気が起きると言って逃げる女を追いかけて、激しい雷雨の中ドロドロの道の上ででそれをひっぺがし、背後から激しく突く。

激しいシーンだ。Netflix の『地面師たち』の1シーンが「激しいセックス描写」と評されるのを読んで、僕は「洋服を着たままのあんな不自然な描写のどこが激しいセックス・シーンなんだ?」と腹を立てていた。激しいセックス・シーンというのはこういうのを言うのである。

昔のポルノ映画みたいなぼかしが入っているのはいただけないが、まあ、その辺も狙ってのことなのだろう(笑)

で、実はここまでのシーンがつげ義春の『雨の中の慾情』の全てなのだそうで、それ以外につげ原作のいくつかの作品を混ぜ合わせ、さらに片山監督の自由で大胆な発想と柔軟な制作体制の中でどんどん新しい設定やシーンが加わったと言う。

戦争のシーンが出てきたのは(しかも、それがかなりの重みをもって出てきたのには)少し驚いた。つげ義春と言うより水木しげるを思い出させた。

とは言え、これはやっぱりベースにつげ義春の世界がある。特に商店街に広告出稿のお願いに回るシチュエーションなどは、まさにつげ義春の如何ともし難い状況の如何ともし難い心情である。ただひたすらにやるせない。

漫画家志望の義男は大家の尾弥次(竹中直人)に頼まれて小説家志望の伊守(森田剛)と一緒に、夫を亡くしたばかりの福子(中村映里子)の引越の手伝いに行く。そこで居眠りしていた福子の全裸で横たわっている姿を見て心を奪われ、スケッチを始める。これが彼の福子への愛の始まりである。

しかし、その後福子が伊守と同棲していることを知らされ、挙句の果てに家を追われた伊守と福子が義男の家に押しかけて居候となり、2人のまぐわう姿も否応なく目に入ってしまう。

義男の散らかった部屋の、煙草の吸い殻やら彼の描いた絵やらコッペパンやら缶詰やらよく分からない装飾品など、いろんなものがごちゃごちゃに詰め込まれたキッチュなセットがとても素敵だ。

場面はころころ変わる。どこまでが現実でどこまでが義男の妄想であり、どこからどこまでが義男が見ている夢なのか、ここは一体どこの国でいつの時代なのか、あるいはこのシーンと前のシーンとでは時系列的にどちらが先なのか、そんなことが判然としないまま進んで行く。

伊守の付け黒子とか「つむじ風」とか、何のことだかよく分からないものもたくさん出てくるが、しかと分からないにも関わらず、なんだか万感胸に迫るものがあるのだ。つげ義春的なものと片山慎三の世界観が見事にシンクロしていると感じた。

僕はこの映画を「よく分からないもの」として退けたくはないし、逆にこれ見よがしに解説したくもない。

パンフレットの監督へのインタビュー記事で、インタビュアーは「伏線回収が見事な作品ですが」などとクソみたいなことを言っているが、僕はこの作品に対して安易で一辺倒な解釈を許したくはない。

これは膨大な作品である。タイトルは「慾情」だが、これは慾情を描いた作品ではない。時として慾情は暴走するが、それは長続きはしない。慾情は愛の一部分なのだ。これは永遠に続く愛の物語なのである。深く静かな愛を描いた作品なのである。

愛おしい愛おしい映画なのである。

美しく、懐かしく、日本離れした感じの台湾ロケが素晴らしい。そして、時々出てくるワンシーン・ワンカット──とりわけ戦争シーンの、役者もカメラも動き回って構図がどんどん変わって行く超絶長回し。

よくもまあこんな映像世界を生み出したものだ。べらぼうな映画だった。

僕はいつもパンフレットを買うが、普段は全ページを読み切ることはない。それが今回は隅から隅まで一字も残さずに読み尽くした。これは圧倒的にそういう気にさせる映画なのである。

中村映里子は大好きな女優だ。彼女の出演作を観るのは9年ぶり、主演級となると『カケラ』以来なんと 14年ぶりである。久しぶりに彼女の魅力に触れてとても嬉しかった。

最後にもうひとつ。

エンドロールを見ていて懐かしい名前に出くわした──「企画」としてクレジットされていた中沢敏明。すぐにセディックというプロダクション名を思い出した。

僕は直接会ったことはない(ひょっとしたら名刺交換ぐらいはしていたかもしれないが、働いていたころの名刺はすべて処分したので分からない。いずれにしてもせいぜい名刺交換程度である)が、僕が働いていた局の番組を数多く手掛けた人だ。

なんでも、つげ義春作品の最初の映画化を手掛けたのがセディック・インターナショナルだったのだそうだ。ちなみに、その作品は『無能の人』で、監督は竹中直人だった。

そして、驚いたことに、竹中直人が初めて監督した『山形スクリーム』で竹中の助監督(セカンドなのかサードなのか)をしていたのが片山慎三だったそうな。僕は竹中直人という人は監督としては才能のない人だと思っているが、『山形スクリーム』は特に酷かったと思う。

彼は「自分でこの映画を撮りたかった。嫉妬した」と言っているが、出演だけに済んで良かったと思う。

片山慎三って、ほんとにすごいよ。竹中直人監督なんかと比べてはいけない(笑)

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