映画『雨の中の慾情』
【11月30日 記】 映画『雨の中の慾情』を観てきた。
片山慎三監督の作品を初めて観たのは『岬の兄妹』で、とんでもない映画を撮る監督だと仰天した。その次の『さがす』もやばかった。その片山がつげ義春の漫画を映画化するという。これまたやばい組合せだ。何が何でも観たいと思った。
いつもの『NO MORE 映画泥棒』が終わると、画面はいきなり怒涛のコラージュである。猿の後尾やら、なんか昔の映画の一部やら、何の脈略もないが、なんかすごい。製作や配給の会社のロゴもごちゃ混ぜに入っていたのだが、結局どの部分がロゴだったのかよく分からないうちに終わってしまった。
そして冒頭のシーン。土砂降りの雷雨の中、かろうじて屋根のあるバス停で濡れそぼったスカートを絞って水を切っている女。そこに同じくびしょ濡れになって駆け込んできた義男(成田凌)
義男は女に金属は危ないと言って指輪を外させる。そして、洋服の金属ボタンも、ブラのホックも危ないと言って脱がせ、やがてパンツもナイロンだから静電気が起きると言って逃げる女を追いかけて、激しい雷雨の中ドロドロの道の上ででそれをひっぺがし、背後から激しく突く。
激しいシーンだ。Netflix の『地面師たち』の1シーンが「激しいセックス描写」と評されるのを読んで、僕は「洋服を着たままのあんな不自然な描写のどこが激しいセックス・シーンなんだ?」と腹を立てていた。激しいセックス・シーンというのはこういうのを言うのである。
昔のポルノ映画みたいなぼかしが入っているのはいただけないが、まあ、その辺も狙ってのことなのだろう(笑)
で、実はここまでのシーンがつげ義春の『雨の中の慾情』の全てなのだそうで、それ以外につげ原作のいくつかの作品を混ぜ合わせ、さらに片山監督の自由で大胆な発想と柔軟な制作体制の中でどんどん新しい設定やシーンが加わったと言う。
戦争のシーンが出てきたのは(しかも、それがかなりの重みをもって出てきたのには)少し驚いた。つげ義春と言うより水木しげるを思い出させた。
とは言え、これはやっぱりベースにつげ義春の世界がある。特に商店街に広告出稿のお願いに回るシチュエーションなどは、まさにつげ義春の如何ともし難い状況の如何ともし難い心情である。切なくてうら寂しい。
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