『水車小屋のネネ』津村記久子(書評)
【9月24日 記】 初めて津村記久子を読んだ。確か僕が働いていた局で番組審議委員をしている人だ。
このタイトルを見て、僕は勝手にドーデーの『風車小屋だより』のような小説を想像していたのだが、全然違った(笑)
なんでこのタイトルからフランス、プロヴァンス地方の短編集なんだ?と言われるかもしれないが、日本では、まあ、あるところにはあるのだろうけれど、わりと都会に住んでいると水車なんて目にすることは滅多にないではないか。そこから、フランスの風車に連想が飛んでしまったのである。
さて、この小説に出てくる水車は何をしているかと言えば、その近くの蕎麦屋のためにそば粉を挽いているのである。
そして、主人公はその水車で粉を挽くことに加えて、水車小屋で粉挽きの“番”をしているネネという名のヨウム(オウムみたいな鳥)の世話をも仕事にしている理佐という女性と、10歳下の妹・律である。
姉妹は、離婚して女手ひとつで自分たちを育ててくれた母親が、最近できた恋人に夢中になってしまい、その男が娘たちを邪険にしていることも目に入らず、その男の事業のために理佐の大学進学のための費用を使い込んでしまったことにいよいよ絶望して、2人で家を出て、たまたま見つけたこの不思議な仕事が住居も提供していることに惹かれて、この田舎町にやってくる。
そして、そこにいたのが、人間の言葉を真似する、というか、ほとんど人間とコミュニケーションをしているようにしか見えない、不思議な鳥・ネネだった。ネネは容器が空になったら教えてくれるのである。
小説は小学生だった律が中年になるまでの長い年月が描かれており、一方ヨウムという鳥も何十年も生きるのだそうで、ネネの半生も合わせて描かれている。だから、この小説の主人公はネネであるとも言える。
基本的に良い話なのである。理佐と律の母親とその恋人を除くと、感じの悪い人物は全く出てこない。
理佐が幼い律を連れてこの2人の下を離れ、やがてその町に住むいろんな人たちに出会い、そして助けられ、質素ながら幸せな人生を送って行く姿は、ある意味「血縁ではなく地縁こそが大事」と言っているように見える。
しかし、一旦そう見えてしまうと何だか凡庸な作品に見えてしまうのも事実である。
また、いくらなんでもネネが賢すぎる気もする。ヨウムのことはだいぶ調べて書いているようだが、しかし、ここまでのことはないだろうと思う。そう思うと、ふむ、これが本屋大賞第2位なのか、という気もする。
まあ、ただ、結構人の琴線に触れる、優しくて温かい物語であることは確かで、そういう意味では良い本であったとは思う。
優しい人なんだろうな、この作家は。人となりがしっかり表れた作品なのではないだろうか。
Comments