映画『ナミビアの砂漠』
【9月17日 記】 映画『ナミビアの砂漠』を観てきた。画面のアスペクト比は4:3だった。
冒頭、俯瞰の固定カメラでどこかの渡り廊下みたいなところを引き画で撮っている。その間が長いのである。
大体はそこに主人公が歩いてきて、カメラが寄って「こいつが主人公だ」と示す。今回もそういうシーンなのだが、誰も現れない間が長いのである。この不要な間には何か異質なものを感じる。
そして、カナ(河合優実)が日焼け止めを首筋に塗りながら歩いて、階段を降りてくる。行き先は喫茶店だが、入る前から店内の話し声がかなり大きくノイズとして入ってくる。とりわけ男性3人組の会話が。
当然カナがそこに合流するのかと思って見ていたら、そうではなく、待合わせていたのは友だちのイチカ(新谷ゆづみ)だ。しかし、店内の話し声は小さくならない。「ノイズ」と言うにはあまりにも大きなボリュームで、途切れることなくバックに流れたままである。
イチカは2人の共通の知人が自殺したという話をする。が、カナはそれが誰だったか思い出せない。そこにカナが頼んだアイスコーヒーが運ばれてきて、口をつけたカナが「あ、紙ストローだ」と言う。
人間描写のリアリティを増すために、こういう筋とは関係のない台詞を入れることはわりとある手法だが、タイミングとして早いし短い。そのひと言で終わるので、それほど明確にカナの性格を語るわけでもない。これもノイズだ。
そして、その後、カメラは女2人から離れて、近くの席で喋っていた男性3人組の会話シーンになる。ここにカナが絡むのかと思ったら、そうではない。これも完全にノイズだ。
カナは同棲中のホンダ(寛一郎)を捨てて、二股かけていたハヤシ(金子大地)と同棲することにする。
ハヤシと喧嘩したあと、悔し紛れに左足の親指でテーブルの足をスリスリするのもノイズだ。
着替えるカナのおっぱいが映る(セックス・シーンではないのでそれほど必然性はない)のも、ロングTシャツを着て足を伸ばして座っているカナの股間にボーダー柄のパンティの小さな三角形が見えている(これも敢えてこのアングルにする必要はない)のも同じくノイズだと思う。
あと、ハヤシの部屋にある太陽の塔の置物(しかも2つ並んで!)。これも気になって仕方がなかった。
ああ、山中瑶子監督ってこういうノイズを描く人なんだなと思った。
カナは一応美容脱毛サロン勤務という定職がある。そう言えばムダ毛というのも一種のノイズか。
彼女は男2人とつきあい、たまにホストクラブにも行く。全てが自分ではなく相手が悪いという感じ方、考え方をしていて、その一方で平気で嘘をつくし、すぐにキレまくる。
2人の男はとにかくカナに優しい、と言うか、甘い。
ホンダは何かと言うと謝ったり泣いたりしてばかりだし、ハヤシはカナが手に負えなくなるとすぐに逃げる。カナもやがて「自分がおかしいのかも」と考え始めて心療内科を受診したりもする。
ここに出てくるのは女も男も、ほんとうにめんどくさい奴らばかりで、僕は一分一秒たりともこんな奴らと関わりたくない。
だから、僕はカナに共感も持たない。と言うか、河合優実が共感を持たせない演技をしている、と言うか、こういうイライラって人生のノイズなんだよなとは思う。
答えなんかどこにもない。人生ってそういうものだ。
映画も中盤を過ぎた辺り、カナがホンダの家から冷蔵庫などを運び出してハヤシと新生活を始めた所で漸く映画のタイトルが出る。ということは、ここまでは所謂アバンタイトルか?となるとホンダがいよいよ憐れになる。
長回しが結構ある。緊張感が途切れることなく、河合優実が良い芝居をしている。
さて、映画はどう終わるのかなと思っていたら、やっぱり何の解決もなく突然終わる。
でも、なんか、すごい映画を観てしまったなという感慨は残る。うん、なんかすごかったよ。
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