「指導する」知事
【9月4日 記】 もう皆さんテレビのニュースなどでさんざん見てうんざりしているだろうから、極めて部分的なことだけ書くけれど、兵庫県知事のパワハラ問題について。
知事は百条委員会の尋問で、「それはパワハラではないか?」という質問に対して、たびたび「自分としてはこれこれこういう思いで厳しく指導しました」などと言い換えて答えている。
僕は彼が自分の都合の良いように問題をすり替え、勝手にワーディングを違えて答えていることよりも、この「指導しました」という表現そのものに引っかかるのである。
知事と県職員は先生と生徒でも、巨匠と弟子でもなく、指導し指導される関係ではない。言ってみればお互いに県政を推し進める仕事上のパートナーである。
なのに彼は自分がまるで絶対君主のように指導・命令する立場だと思いこんでいる。
その辺りがこの頭のおかしい知事のもっとも滑稽で茶番な部分なのではないだろうか。この男は知事になった途端に「よし、これでいつでもどこでも、どんな場合でもどの部下に対しても、のべつ幕なしに命令できるぞ! 嬉しい!」と小躍りしたのだろうか?
もちろん知事は命令を下す立場であり、県職員はその命令を受けて動く立場ではある。
だが、それは単に知事が仕事を進める上での指揮命令系統の上位者であり、指揮機能の一端を担っているというだけのことであって、いちいち車をどこに止めたとか、マスコミが取材に来ていないとか、そんな細々したことで、誰も職員を「指導」してくれなんて頼んでもいないし、思ってもいない。
そんな枝葉末節で職員を「指導する」ことは知事の職域であろうはずもない。
そもそもお前は他人を指導するに値するような人格者なのか? 僕は真逆だと思う。彼には決して他人を指導する資格も見識も力量もない。むしろ誰か立派な人の指導をまず受けて然るべきである。
言えることはただひとつ、こんな奴を選んではいけないということである。
僕は元兵庫県民だが、彼が当選したのは僕が転出した後である。
でも、もし自分が住んでいる間に選挙があったとしたら、僕はこんな奴には決して投票しないと言えたかどうか定かではない(選挙演説ではそこまで見えないものね)。
それを思うと少し暗澹たる気分になってしまう。
« 映画『愛に乱暴』 | Main | 本を売る #11 »
Comments