Play Log File on my Walkman #156
【9月29日 記】 約2か月ぶりのプレイログ披露。今回も5曲。
- 麦畑(オヨネーズ)
- 花火(aiko)
- 悲しみにさよなら(安全地帯)
- ぼくを見かけませんでしたか(森田童子)
- Sunshower(Ayumu Imazu)
【9月29日 記】 約2か月ぶりのプレイログ披露。今回も5曲。
原作の小説は 100万部突破のベストセラーらしいが、僕は辻村深月の小説は1作しか読んだことがない。
その時の書評には(ま、最後にはもうちょっと褒めているが、冒頭で)「我慢がならないくらい物足りない」と書いていて、僕にとっては所詮1作だけ読んでその後は二度と手に取らない作家である。
監督の萩原健太郎は、これまでに2本の映画を観ているが、こちらも僕としてはファンというわけではない。
今回の目当ては主演の奈緒と脚本の清水友佳子である。この2人がいれば、どんな原作であれきっと良い映画になっていると思って観に行った。
『傲慢と善良』というタイトルでオースティンの有名な小説『高慢と偏見』を想起する人も多いだろう。
いずれも女性の結婚を描いた作品らしいが、この映画の中では前田美波里が扮する結婚相談所の所長の台詞で、「『高慢と偏見』ってご存じ?」と最初に振ったあとに、今の若い人たちの結婚観を表すキーワードとして「傲慢と善良が同居している」という台詞がある。
これが実は作品テーマの解説になっている。却々分かりやすい作りではないか。
さて、冒頭のシーンは夜の交差点。信号が青になっても横断歩道を渡らない女がいる。顔は映らない。が、左手の薬指に大きなダイヤの指輪をしている。そして、持っていた白いバラの花束をその指で握りつぶして地面に捨ててしまう。
調べてみたら、白いバラの花言葉は「純潔」「相思相愛」「生涯を誓う」などである。すでにこの映画の設定はここで語られているのである。ちなみにこのシーンは終盤にもう一度出てくる。
婚活アプリでともにお見合いを重ねてきた西澤(藤ヶ谷太輔)と真実(奈緒)はすぐに惹かれ合う。奈緒は西澤のカッコよくてリッチでスマートなところに。西澤は真実のおっとりとして奥ゆかしいところに。友だちに真実のどこが好きかと訊かれた西澤は「善良」という言葉を使う。
西澤と真実が初めて会う喫茶店のテーブルの足がぐらついているところなど、ストーリーに必要ではないのだけれど、なんとも言えず微笑ましくもあり、しかし、いろいろ考えると何かを象徴しているようで意味深長に思えたり、いずれにしてもリアリティを高めるためのこういう細部の仕掛けが、僕は嬉しくてたまらない。
さて、そんな2人の交際は続くのだが、プロポーズを心待ちにする真実に対して、西澤にはその素振りはない。プロポーズの指輪かと思ったケースも、開けてみたら誕生日プレゼントのブローチだった。
そんな不安さが真実を恋の駆け引きに駆り立ててしまう。そういうことがあまりうまくできるタイプでもないのに…。
【9月24日 記】 初めて津村記久子を読んだ。確か僕が働いていた局で番組審議委員をしている人だ。
このタイトルを見て、僕は勝手にドーデーの『風車小屋だより』のような小説を想像していたのだが、全然違った(笑)
なんでこのタイトルからフランス、プロヴァンス地方の短編集なんだ?と言われるかもしれないが、日本では、まあ、あるところにはあるのだろうけれど、わりと都会に住んでいると水車なんて目にすることは滅多にないではないか。そこから、フランスの風車に連想が飛んでしまったのである。
さて、この小説に出てくる水車は何をしているかと言えば、その近くの蕎麦屋のためにそば粉を挽いているのである。
そして、主人公はその水車で粉を挽くことに加えて、水車小屋で粉挽きの“番”をしているネネという名のヨウム(オウムみたいな鳥)の世話をも仕事にしている理佐という女性と、10歳下の妹・律である。
姉妹は、離婚して女手ひとつで自分たちを育ててくれた母親が、最近できた恋人に夢中になってしまい、その男が娘たちを邪険にしていることも目に入らず、その男の事業のために理佐の大学進学のための費用を使い込んでしまったことにいよいよ絶望して、2人で家を出て、たまたま見つけたこの不思議な仕事が住居も提供していることに惹かれて、この田舎町にやってくる。
【9月19日 記】 人は年を取ってくるとだんだん新しい曲に対する興味や好奇心がなくなってきて、自分が 20 歳前後に聴いていた曲しか聴かなくなる──という説がある。
その背景を含めてもう少し詳しく書くと、音楽を聞いたときに脳内に快楽物質が最も多く分泌されるのが 12~22歳ごろだなのだそうで、それ故それより後で聞いた音楽からはあまり快感を得られないと言うのである。
そう言われると、「いや、40代で初めて聞いた曲でも 50代から聞き始めた曲でも、いまだにめちゃっくちゃ好きでよく聴く曲がありますよ」などとつい反論したくなるのであるが、しかし、上に書いたようなことを完全否定することはできないのも事実で、つまり、100% ではないにしても、大筋の傾向としてはやっぱりそういうことはあるのである。
【9月17日 記】 映画『ナミビアの砂漠』を観てきた。画面のアスペクト比は4:3だった。
冒頭、俯瞰の固定カメラでどこかの渡り廊下みたいなところを引き画で撮っている。その間が長いのである。
大体はそこに主人公が歩いてきて、カメラが寄って「こいつが主人公だ」と示す。今回もそういうシーンなのだが、誰も現れない間が長いのである。この不要な間には何か異質なものを感じる。
そして、カナ(河合優実)が日焼け止めを首筋に塗りながら歩いて、階段を降りてくる。行き先は喫茶店だが、入る前から店内の話し声がかなり大きくノイズとして入ってくる。とりわけ男性3人組の会話が。
当然カナがそこに合流するのかと思って見ていたら、そうではなく、待合わせていたのは友だちのイチカ(新谷ゆづみ)だ。しかし、店内の話し声は小さくならない。「ノイズ」と言うにはあまりにも大きなボリュームで、途切れることなくバックに流れたままである。
イチカは2人の共通の知人が自殺したという話をする。が、カナはそれが誰だったか思い出せない。そこにカナが頼んだアイスコーヒーが運ばれてきて、口をつけたカナが「あ、紙ストローだ」と言う。
人間描写のリアリティを増すために、こういう筋とは関係のない台詞を入れることはわりとある手法だが、タイミングとして早いし短い。そのひと言で終わるので、それほど明確にカナの性格を語るわけでもない。これもノイズだ。
そして、その後、カメラは女2人から離れて、近くの席で喋っていた男性3人組の会話シーンになる。ここにカナが絡むのかと思ったら、そうではない。これも完全にノイズだ。
カナは同棲中のホンダ(寛一郎)を捨てて、二股かけていたハヤシ(金子大地)と同棲することにする。
ハヤシと喧嘩したあと、悔し紛れに左足の親指でテーブルの足をスリスリするのもノイズだ。
着替えるカナのおっぱいが映る(セックス・シーンではないのでそれほど必然性はない)のも、ロングTシャツを着て足を伸ばして座っているカナの股間にボーダー柄のパンティの小さな三角形が見えている(これも敢えてこのアングルにする必要はない)のも同じくノイズだと思う。
あと、ハヤシの部屋にある太陽の塔の置物(しかも2つ並んで!)。これも気になって仕方がなかった。
ああ、山中瑶子監督ってこういうノイズを描く人なんだなと思った。
【9月13日 記】 映画『侍タイムスリッパー』を観てきた。
複数の知人が褒めていたので、これは池袋のシネマ・ロサに観に行くしかないなと思っていたら、なんと今日から TOHOシネマズとピカデリー系(SMT)及び一部の T・ジョイ系劇場に拡大公開されていた。
これはまさに『カメラを止めるな!』が通ってきた道ではないか。
で、ま、シネマ・ロサみたいな映画館の雰囲気が好きだという人もいるだろうが、僕は迷わず TOHOシネマズに行った(笑)
京都のインディーズ映画会社「未来映画社」の制作で、安田淳一という人が監督・脚本・撮影を兼ねているのだが、スタッフ・ロールを見ているとそれ以外にも何度も名前が出てくる。恐らく最初は彼一人の迸るような情熱からスタートしたのだろう。
そして、この未来映画社だが、この会社の構成はよく分からないのだが、これがこの会社の3本目の劇場映画で、その3本ともが安田監督の作品である。
恐らく最初はこの小さな組織でなんとか映画化しようと思ったのだろうが、しかし、映画というものは大規模になればなるほど小さな組織では作り切れなくなってくる。特に時代劇となると金も人も手間もべらぼうにかかってしまう。
それで資金難で頓挫しかけたところに、「とにかく脚本が面白いから」という理由で東映の京都撮影所が救いの手を差し伸べて映画は完成に至ったという。
さすがに東映京都だけあって、いやいや堂々たる、本格的な時代劇である。
主演の山口馬木也は、僕は記憶になかったが、数多くの時代劇で脇役を務めた実績のある俳優らしい。他にも、とっさに名前は出てこなくても顔を見たら知っている俳優がちょこちょこ出ている。
面白いのは、この映画の言ってみればマドンナ役である撮影所の助監督・山本優子を演じた沙倉ゆうのは、実はこの映画製作においても出演の傍ら助監督(と他にも何役か)を兼務しており、かつ、これまでの2本の未来映画社の映画では主演女優だったということだ。現在は東映京都の俳優部所属とのことである。
【9月12日 記】 人に聞いた話だからどこまで正しいのか定かではないが、プラスティックのゴミを燃やすかどうかは焼却炉が高温タイプかどうかによるとのことだ。
プラスティックを低温で燃やすとダイオキシンだか何だか、要するに有毒のガスが出るので、かつてはプラスティックはどこでも分別ゴミだった。
しかし、昨今では高温焼却炉がかなり整備されてきて、特に東京都の焼却炉は全て高温タイプになったので、都内はどこの区でも(この「全て」や「どこの区でも」という辺りがどこまで正確なのかは分からないが)、プラスティックは一般ごみになっているとのことだ。
そのことを知らずに最近都内に越してきた僕の友人は、プラスティックはあくまで資源ゴミだと思い込んでいて、しかし、燃えないゴミの日をよく失念してしまうのでついつい溜まってしまい、それが嫌なので、燃えるゴミの袋の内側に隠して入れ、外側を古新聞などでガードして見えないようにして捨てていたと言う。
【9月8日 記】 配信が再開したので『力の指輪』の season 2 を見始めたのだが、聞けば Amazon のこのシリーズは season 5 まであるとのことだ。そうなると、「生きている間に最後まで見られるかな?」という問題が出てくる。
若い人には実感がないだろうが、年を取るに従ってそんなことが頭にちらつくようになる。
2020年の(実際には 2021年になったが)東京オリンピックの開催が決まったとき、「その頃にはまだ元気で生きているだろうから、1種目でも良いから競技場で見たいな」と思った(が、実際は見られなかった)。
2025年の大阪万博を見たいとは別に思わないが、あれが決まったときも「多分まだ生きているな」と思った。
しかし、このドラマの season 5 までの全episodes が完結するまでとなると、何年かかるのか?
そもそも season 1 と 2 のインターバルが 2年近くあったではないか。season 5 までなら 10年かかってもちっともおかしくないし、途中で何か障害があったりするともっと時間を要する可能性もある。
そして、原作の長さを考えると、時代を行ったり来たりして、もっと多くの seasons が企画されるかもしれない。
そもそもこの『力の指輪』の後日譚である映画版の『ロード・オブ・ザ・リング』が最初に映画館で上映されたのが 2001年、3部作全てが上映されるまでに要した期間が約2年、その後、その前日譚である『ホビット』3部作がその約10年後にやはり約2年かけて上映されている。
なんという大作か! そしてなんという長い物語か!
【9月6日 記】 7年2か月1週間ぶりに蔵書を売った。前回はイーブックオフだったが、今回はネットオフに戻った。
今は可能な限り Kindle で読むようにしているので、紙の本は増えていない。従って今回売ったのもわずかに 23冊である。
合計で 1,000円ぐらいにはなるかなと思ったのだが甘かった。たった 895円、それもキャンペーンによる増額 275円を含めての金額である。
23冊のうち値段がついたのが 15冊で合計 612円、平均 40.8円。残り 8冊は例によって資源ごみ扱いで 1冊 1円。23冊トータルとしての平均は 38.9円となり、それでも 2015年以降では3番目の高値である。
生涯トータルでは 775冊で 29,335円、平均 37.9円+Amazonポイント 500円分。値段のついた冊数だけで割ると平均 54.8円、Amazonポイント込みで計算すると 55.8円。
まあ、こんなものなのかな。
【9月4日 記】 もう皆さんテレビのニュースなどでさんざん見てうんざりしているだろうから、極めて部分的なことだけ書くけれど、兵庫県知事のパワハラ問題について。
知事は百条委員会の尋問で、「それはパワハラではないか?」という質問に対して、たびたび「自分としてはこれこれこういう思いで厳しく指導しました」などと言い換えて答えている。
僕は彼が自分の都合の良いように問題をすり替え、勝手にワーディングを違えて答えていることよりも、この「指導しました」という表現そのものに引っかかるのである。
【9月3日 記】 映画『愛に乱暴』を観てきた。
吉田修一の小説はかなりの数が映像化されている。僕が観ただけでも『パレード』、『春、バーニーズで』、『悪人』、『さよなら渓谷』、『横道世之介』、『怒り』など枚挙に暇がないが、小説については1作しか読んでおらず、しかもあまり感心しなかった。
僕にとっては東野圭吾と同じである。人物の描き方が浅いと思った。でも、だからこそ脚本家の腕の見せ所で、それぞれが結構良いドラマや映画になっているのではないだろうか。
今回の脚本は『おじいちゃん、死んじゃったって。』の山崎佐保子と、(この人はよく知らないのだが)鈴木史子である。
森ガキ侑大監督は初めて観た『おじいちゃん、死んじゃったって。』がとにかく鮮烈だったので、その後テレビドラマも含めて結構観ている。
さて、乱暴にまとめてしまうと、江口のりこが演ずる 41歳、結婚8年目の主婦・桃子が次第に壊れて行く話である。
桃子は普段から小綺麗にしていて、主婦の仕事はきっちりこなし、近所のゴミ捨て場をいつもきれいにして、夫の真守(小泉孝太郎)の帰りが遅いと分かっている日でも手抜きせずに食事を作り、パートでやっている石鹸作りの教室も順調で、同じ敷地内の母屋に住んでいる義母・照子(風吹ジュン)ともうまくやっている。
なのに町内にはゴミのルールを守らない奴がおり、「おはようございます」と挨拶しても何も返さない奴がおり、近所では何度か不審火が出ていたりもするし、義母とは決して険悪な関係ではないがそこにはやはり嫁と姑の間にありがちな微妙な行き違いもある。
その上、夫に何を話しかけても上の空でテキトーに相槌を打つだけ、と言うか、目を合わせることさえあまりなく、ダブルベッドでは夫はいつも桃子に背を向けて寝ている。
そりゃ、おかしくもなるわな、という環境である。
【9月2日 記】 映画『きみの色』を観てきた。
個々のアニメを観るか観ないかの判断基準には、もちろん設定とかストーリーの占める比重は大きいのだが、絵柄や画風が好きかどうかということも決定的な要素だ。
僕が各クールの頭で今季はどのアニメを観るか決める際にもそれは外せない尺度だし、あんなに評判になっても『鬼滅の刃』の1話だけでも観てみようと思わなかったのもあの絵柄を好きになれなかったからである。
一方、僕はアニメでバンドを描くというのは却々難しいことだと考えていて、そんなこともあって当初はこのアニメを観る気はなかったのだが、予告編を何度か見るうちにその画に惚れ込んでしまって今回の鑑賞となった。
なお、山田尚子監督作品では 2016年の『聲の形』を観ている。
修道会系の女子高に通い、敷地内の寮で暮らしている日暮トツ子(CV:鈴川紗由)には人間の色が見えると言う。
これは一種の所謂“共感覚”なのかなと思う。聞こえた音に色が付いて見える「色聴(sound-color synesthesia)が有名だが、さすがに人間に色が付いて見えるというのはないだろう。これは作者の創作ではないだろうか。
そのトツ子が、高校の同級生で、途中で退学してしまう作永きみ(CV:髙石あかり)にはきれいなブルーを見、きみがアルバイトをしている中古本屋で出会った影平ルイ(CV:木戸大聖)にはきれいなグリーンを見て、2人に惹かれてしまう。そして、2人とも音楽をやっていることに気づいて、その場の勢いで3人でバンドをやりませんかと言ってしまう。
トツ子自身は自分の色が分からないと言うが、紙の上ではなく空間上で全ての色を表すにはどの色素が必要か考えれば、観客には容易に想像がつく。
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