『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』三宅香帆(書評)
【8月31日 記】 三宅香帆の「著書」となると『女の子の謎を解く』しか読んでいないが、note や東洋経済オンラインなどで数多くの記事を読んできた。
そんな風に僕が割合早くから目をつけていた三宅がこの著書で一躍ベストセラー作家になってしまって、僕としてはちょっと悔しい気さえする。
僕は今まで彼女を「解釈の人」だと思ってきた。
小説、古典文学、漫画、テレビドラマ、アニメ、映画、配信番組などについて彼女が書いている文章には、いずれも彼女でなければ読み込めないような深くて斬新な解釈があった。
それは単に「こんな風にも読める」とか「こんな印象を持った」というようなことではなく、いずれもその本やドラマが作られた背景にある現代社会のあり方と密接に結びついた解釈だった。
そして、今回のこの本を読んで驚いたのは、この本では彼女がしっかりと史学的なアプローチに基づいて検証しながら論を進めているところである。
今まではむしろ人文科学の人だと思っていたのだが、この本は極めて社会科学的なアプローチで書かれており、その点が僕にとっては新しく、意表を突かれた。
最初に彼女はこう書いている:
最初に伝えたいのが、私にとっての「本を読むこと」は、あなたにとっての「仕事と両立させたい、仕事以外の時間」である、ということです。
つまり、この本は単なる読書論ではないということだ。そこに留まらず、歴史を振り返りながら、これからあるべき社会について述べているのである。
どういう働き方であれば、人間らしく、労働と文化を両立できるのか?
そこで彼女は明治時代から、読書がどのように位置づけられ、誰によってどんな風に行われてきたかを検証し始める。句読点が明治10年代までは普及していなかったとか、所謂サラリーマンは大正時代に誕生したとか、世間ではあまり知られていない事実も掘り起こされている。
そして、階級論的な分析を交えながら、昭和、平成から現代へと続くさまざまな流行を追って行く。
その果てに彼女がたどり着くのは、最近 note などでも頻りに書いている「半身で働く」「全身全霊をやめる」ということなのである。
今まで読んできた彼女の文章の中で、最も思想性に溢れた著作であり、それ自体がひとつの提言であった。
実用書みたいなタイトルがついているので、「私ももっと本が読みたいな」という軽い気持ちで読み始めた人はびっくりしたかもしれない。そういう人のためにはあとがきに彼女なりのティップスがまとめてある。
現代の日本社会における三宅香帆という著述家の重要性がぐっと増してきた気がする。次はどんなものを書くのか、ますます楽しみになってきた。
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