『渋谷系音楽図鑑』牧村憲一・藤井丈司・柴那典(書評)
【8月10日 記】 この本が 2017年に出版されていたことを僕は知らなくて、スガイヒロシさんの note で初めて知ったのだが、「これは何が何でも読まなアカンやつや」と直感してすぐに購入し、読んでみたらまさにその通りの本だった。
書名を見ると「渋谷系」と言われた楽曲のカタログ本と思うかもしれないが、全くそんな本ではない。
日本の流行音楽や、果ては文化という大きなワードで括るべきものを、歴史と経験とデータに基づいてしっかり分析し、本質となる流れを洗い出した画期的な大著なのである。
この本の著者は 1946年生まれの音楽プロデューサー・牧村憲一と、1957年生まれのプロデューサー/プログラマー/アレンジャーの藤井丈司、そして 1976年生まれの音楽ジャーナリスト柴那典の3人で、冒頭から第五章までを牧村が執筆し、最後の二章が著者全員の鼎談になっている。
牧村憲一については津田大介との共著『未来型サバイバル音楽論』を読むまで名前を知らなかったのだが、今回この本を読んでみて、ここまで深く長く日本のミュージック・シーンに関与し、かつ育ててきた人なのかと改めて驚いた。
柴那典についてはネット上や雑誌などで今までいくつか文章を読んでいる。藤井丈司は僕は知らなかったのだが、この世代的にもかなり離れている3人の組合せはかなり巧く機能していると思う。
牧村憲一はこの本を自分の音楽体験や最初のキャリアから書き起こしたりはしていない。渋谷の地形や開発の歴史などから説き起こしている。つまり、タイトルに反して、単なる図鑑にする気など全くなく、時代と文化を語ろうとしているのである。
彼はフリッパーズ・ギターを見出し、デビューさせたプロデューサーで、そのこともあって「渋谷系」の始祖のように語られることも多く、これまでにも何度か「渋谷系」を語る本を書いてほしいと言われたことがあるそうだが、実は「渋谷系」という呼び名はフリッパーズが解散した頃から出てきたもので、牧村としては非常にご都合主義なものだと否定的に感じていたのだと言う。
そういう一般人が知らない背景や、数多くのミュージシャンとの豊かな交流のエピソードなども交えながら、彼は音楽というものがどういうものなのか、あるいはどうあるべきだと感じているのかというようなことを、非常に深く掘り下げて語っている。
さらにこの本の特筆すべきポイントは楽譜が掲載されていることである。
牧村は、
こういう本の多くは、音楽の話をしているのに、実際には音が聴こえてこない。そうではないものにしたかったんです。
と言っている。
そういうわけで第六章がまるまる楽曲解析に充てられており、藤井がそれぞれの楽譜に基づいて、『夏なんです』(はっぴいえんど)、『DOWN TOWN』(シュガー・ベイブ)、『RIDE ON TIME』(山下達郎)、『恋とマシンガン』(フリッパーズ・ギター)、『ぼくらが旅に出る理由』(小沢健二)、『POINT OF VIEW POINT』(コーネリアス)の6曲を適切にして簡潔に分析している。
この章を読まなければ全く気づいていなかったことがたくさん指摘されていて驚いてしまった。
そして、柴が前面に出てくる第七章での 21 世紀の音楽の解析と展望も、彼の慧眼を裏付けるものになっている。
本の終盤では、 2016年の細野晴臣のライブで、ゲスト出演した星野源に対して、細野さんが「未来をよろしく」と言ったというエピソードが紹介されている。
あとがきに柴那典は、
この本を、ただ“あの頃”を振り返り懐かしむだけのものにはしたくない。むしろ 10年代や 20年代も含めた“これから”の時代を生きる人たちに託すものにしたい。
と書いている。
牧村は、
我々のような世代の人間が「これまではこうだった」ということをきちんと系統化して投げ出して、それを受け取ってもらうことも必要だと思う。
と言っている。
この本は渋谷と音楽を巡る 50年の物語であると同時に、次の 50年の音楽のあり方を考える点で重要な意味を持った存在なのである。
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