『ゼロK』ドン・デリーロ(書評)
【8月7日 記】 時々重厚な本を、と言うか、読むのがしんどい本を読みたくなる。そういう時に手に取るのがドン・デリーロだ。この本もしばらく前に買っておいたのだが、本棚に置いたまま自分の中にそういう機運が高まるのを待っていた。
しかし、この本は 2016年刊行で、日本で翻訳されているものの中では2番目に新しい作品なのだが、ますます読みづらく、読むのに難渋を極めるようになってきた。
僕が初めて読んだのは『アンダーワールド』(1997年)で、あの複雑に絡まった重層構造の物語にクラクラしながら魅了されたのだが、この本で描かれるのはほとんどひとつのストーリーなのである。
『コズモポリス』(2003年)にしても『堕ちてゆく男』(2007年)にしても、いろんな人物やいろんな時代のいろんな物語がぐちゃぐちゃに絡み合った話であり、そこがしんどいけれどデリーロを読む愉しみであったと思う。
しかし、この小説で語られているのは主人公ジェフリーの父・ロスとその再婚者であるアーティスの、自ら望んだ「死」についてがほとんどを占めるのである。死と言っても自殺ではない。いや、厳密に言うと死ですらないかもしれない。
不治の病魔に侵されたアーティスは、カザフスタンにある謎の施設で自分の体を冷凍保存して、科学技術の進歩により病気の治療が可能になった時に蘇生する道を選んだ。そして、残されたロスも、最初は躊躇するが、やがて自分もアーティスの後を追おうと思うに至る。
この巨大新興宗教にも似た謎の組織の内部や、自分と母を捨てて出て行って今は実業家として巨万の富を得ているロスと、長年彼との交流がなかったジェフリーの微妙な関係、そして、ジェフリーの恋人であるエマと、エマと彼女の前夫が引き取って育ててきたウクライナの孤児スタックの話など、確かにデリーロらしい複雑な小説世界ではあるのだが、今回は中心となる幹(= アーティスとロスの死)が太く他が細く、しかも結構哲学的な思考を述べた部分が延々と続くために、なんとも重苦しく、読むのがかなりしんどいのである。
確かに余韻は深い。重いものを読んだとき特有の深い余韻がある。
だが、翻訳が既に出ている『沈黙』(2020年)を読むかどうするか、ちょっと悩ましくなってきた。
Comments