映画『劇場版モノノ怪 唐傘』
【7月26日 記】 映画『劇場版モノノ怪 唐傘』を観てきた。
テレビでシリーズ化されていた番組の映画化というのは、その番組の視聴者であったことをある程度前提にしていることが多いので、自分がそれを観ていなかった場合僕はあまり観に行かないのだが、この映画は別だ。
予告編を初めて観たときにいっぺんで魅了されてしまった。
映画のことを書く時に一切カメラワークに触れない人がいることを僕は常々不思議に思っているのだが、アニメであっても画作りに全く触れない人にはなおさら驚いてしまう。いずれも映像芸術なのに、その部分に対する感想はないのかな?と思ってしまうのである。
別に難しい映像技法について勉強して書けと言っているのではない。全ての映画で画作りについて触れろと言うのでもない。ただ、ドラマやアニメを観たら、その構図とか動きとか光線の具合とか画面の色合いとかに、なんか思うことはあるでしょ?ということである。たまに、おおお、この画はすごい!とか思いませんか?ということである。
このアニメの場合、それはテクスチャと彩色である。
和紙テクスチャのスクリーン上でアニメーションが動く。しかも、伝統的な日本の色と西洋的な中間色のパステル・カラーを組み合せてある。
画面はレイヤー構造になっていて、適度な透過性を設定してある。このミクスチャは絶妙である。
そして、目を瞠るのがキャラクター・デザイン。
着物や髪型は和なのだが、顔立ちはアニメ風で、髪の色も目の色も多彩である。髪や目の色がカラフルなのは昨今のアニメでは当たり前かもしれないが、時代劇でこれをやるところがユニークだと思う。とりわけネイルは現代そのものではないか。その一方で、たびたび映る手の甲のシミ!
さて、舞台は大奥なのだが、実際の大奥があんな見た目であったはずがない。目眩がするほどの饒舌な装飾。そして、画面の奥行きの深さ、広範囲に描き込まれた細部の精密さ。
日本建築の壁に襖に天井に床に、人や動物や物の怪などの絵と極彩色の意匠がべったり貼りついている。
しかし、そこには大和だけでなく中華があり、その他にも何やらエキゾチックなものが溢れている。浮世絵があり、絵草紙的なものがあり、ひょっとしたら西洋絵画まで。
背景と人物の両方が猛スピードで動く。膨大なカット数。頭がクラクラする。
キーワードは「合成の誤謬」ということらしいが、それに囚われて観る必要はない。
話としては、大奥に現れた物の怪「唐傘」を薬売りが祓う物語。アサとカメという2人の少女が大奥に女中として奉公に上がった初日から展開して行く。
全く常人には理解できない強烈に不思議なスペースとして、大奥は描かれる。
カメはただ大奥のきらびやかさに憧れて、いつか天子様に見初められたいとやってきたミーハーな娘。何の特技もない。対してアサは言わばキャリア・アップを目指して大奥に入った娘。何をやらせても実務能力が高い。
2人は初日から意気投合するが、カメは常に落ちこぼれ、アサは一気に出世街道を駆け上る。
2人が大奥に入ったのは、中臈の出産を祝う儀式を目前に控えた時期。しかし、本来は出産前に行うはずの儀式が出産後に延期されている。なぜそんなスケジュールになったのか誰も知らされていない。加えて、その時期に失踪した祐筆がいて…。
普段の生活のシーンも、薬売りと物の怪の闘いのシーンも、いずれも圧巻である。
この美術はすごい。べらぼうな映像芸術である。
そして、エンドロールがこれまたすごい。キャストやスタッフは一般的には横書きで縦に流れて行くが、これは時代劇なので縦書きの名前が横に流れて行くのだが、単純に右から左に横滑りするのではなく、背景画像と合わせてみると、同じところをグルグル回っているのである。最後までクラクラする映像だった。
続編が制作されそうな終わり方だったので、もしあるなら何が何でもそれも観たい。
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