デイヴィッド・ベニオフについて
【7月7日 記】 Netflix で『三体』を見始めたのだけれど、プロデューサーのデイヴィッド・ベニオフという名前に記憶がある。
調べてみたら、やっぱり僕が 2002年に読んだ小説『25時』の作者だった。その小説家がいつの間にかドラマのプロデューサーになっていたわけだ。
いや、アメリカのテレビ界では珍しいことではない。脚本家が自らプロデューサーを務めること(あるいはプロデューサーが自ら脚本を書くことと言うべきか)はごく普通にある。ひょっとしたらむしろそのほうが一般的かもしれない。
しかし、Wikipedia等でもうちょっと調べてみると、決していつの間にかプロデューサーになったわけではなかった。
まず『25時』がスパイク・リー監督によって映画化される。その際に脚本を担当したのが他ならぬベニオフ自身だったのだ。いや、よく読むと、映画化に際してベニオフがスパイク・リーを指名したとある。
これが 2002年である。そこからもう彼のプロデューサー人生は始まっていたのである。
次に彼は『トロイ』の脚本を書く。ヴォルフガング・ペーターゼン監督の映画である。
その後については、『25時』以外にも彼は小説を2つ物しているが、脚本家としてのキャリアのほうが完全に前に出てきている。
2009年には『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』の脚本を担当し、そして、僕は観ていないのだが、かの有名な『ゲーム・オブ・スローンズ Game of Thrones』(2011 - 2019)の脚本家兼プロデューサーとして、彼の名声は不動のものとなったわけだ。
要するに、まだ無名だったころに彼が書いた小説を僕が読んでそれっきり忘れていたのだが、その間に名脚本家/大プロデューサーになっていたということだ。
人生って分からないもんだ。と言うか、なんか、アメリカってすごいなと思う。
2002年に自分が書いた『25時』の書評を読むと、
(ベニオフは)ナイトクラブの用心棒、教師、ラジオ局のDJ、雑誌記者など、若くして職を転々としていたことが判る。こういう経歴がなければ、きっとこういう小説は書けないのだろう。
と書いてある。ひょっとしたら、こういう経歴がなければ、彼はプロデューサーとしても成功しなかったのかもしれない。
僕はさらにこう書いて書評を締め括っている。
古い価値観なのかもしれないが、男性的な魅力にあふれる長編小説である。
これは小説家としてのベニオフの価値観が古いと言っているのか、それとも「男性的な魅力」などと書いている僕自身の価値観が古いと言いたかったのか、今となってはよく分からない。
Comments
そう言えば、北野の田上泰昭先生の最終講義が小説『二十五時』の話だったなと思い出しましたが、どうも年代が合わない……で、調べたら、ゲオルギウという作家に同じタイトルの作品がありました。たぶんこちらについてだったのでしょう。
ベニオフと全く関係ありませんが、ヤマエー氏はこういう情報も好きかもしれないと思い記すことにしました。
Posted by: 野原 | Monday, July 08, 2024 11:01