【7月6>日 記】 映画『先生の白い嘘』を観てきた。
ここのところ、監督ではなく出演者で選んで映画を見に行くことが多いのだが、この映画も三木康一郎監督には何の興味もなく、ただただ主演の奈緒を観たくて行ってきた。
僕は奈緒の存在を知るのが随分遅かったのだが、2020年のカンテレのドラマ『姉ちゃんの恋人』での有村架純の親友役を観て以来、彼女の虜になってしまった。
一方、三木康一郎監督だが、彼がこの映画でインティマシー・コーディネータの導入を拒否したという発言が炎上している。「間に人を入れたくない」という理由で奈緒からの要求を突っぱねたと言うのだ。
単に拒否したというだけではなく、それをしゃあしゃあと、恰もそうすることが良い映画を作る秘訣であるみたいに語っているところにびっくりしてしまう。
間に人を挟まず、奈緒とは「理解しあってやりたかった」などと言っている。呆れて物が言えない。
インティマシー・コーディネータを導入する一番の狙いは、立場的に強い監督と弱い女優の間にまさに「人を入れる」ことである。要求があったにも関わらずそれを拒否するのは、優越的地位の濫用以外のなにものでもない。そんなことも分からない底抜けに頭の悪い奴がよくも監督なんぞをやっているものだ。
ネット上で騒ぎになったので舞台挨拶の際に謝ったらしいが、その冒頭の文言が「私の不用意な発言により」だったとのこと。発言がまずかったわけではない。その前の行いが間違っていたのだという自覚はないのか? とりあえず謝っておけば収まるだろうという愚鈍な考えでいるのだろう。
こういう論理性も倫理性も欠落した、社会性のかけらもないバカが日本の映画界の発展を阻害してしまうんだろうなと思う。
そもそも奈緒は演技に対する真摯さで知られる女優である。彼女はインタビューでこう言っている:
この役を演じることで少なからず傷つくことはわかっていました。芝居だから、仕事だから、といったことだけでは割り切れないと強く感じていたので、その覚悟だけはにぎりしめていました。
と。
先にそんなことを知ってしまったので、この映画は痛々しくて見ていられないシーンが多々あった。
でも、そんなカスみたいな男が監督だったからと言って、その先入観で映画を貶そうという気はない。そんなことと映画の出来は少なくとも直結はしないと僕は考えている。
映画は集団で作るものだから、全く同じ脚本でも取り組むメンバーが違えば全くの別物になる。どこまでが監督の演出力でどこからが役者本人の技量なのかなんて誰にも分からないのだし、監督や役者がクソ野郎であってもそれだけでひどい映画になるとは限らない(ま、脚本だけはかなり比重が大きいが)。
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