映画『九十歳。何がめでたい』
【6月15日 記】 映画『九十歳。何がめでたい』を観てきた。
満席とまでは行かないが、平日の昼間だと言うのにかなり席が埋まっている。ただし、老人ばかりである。
かく言う僕も老人の端くれであるが、昨今では一口に老人と言ってもとても年齢層が広い。僕の親の世代と言っても良いような人たちも少なからずいる。
そんな客席を見渡しながら、そうか、こんなマーケットもあるんだ!と思った。今や老人が人口に占める割合はとても高いし、実数も多いのだ。平日ガラガラの映画館も少し考えたほうが良いだろう。
ところで、草笛光子と前田哲監督の組合せと言えば、すぐに思い出すのが 2021年の『老後の資金がありません!』である。誰が誰にどう働きかけて今回の企画が実現したのかは知らないが、あの映画が今回の組合せを実現する大きなきっかけになっているに違いないと思う。
あの映画の草笛光子はとにかく素晴らしかった。僕は「主演2人よりも遥かに目立っていたのは章の実母を演じた草笛光子である。この映画はさながら草笛光子ショーだったと言っても過言ではない」と書いている。
そして、この映画でも草笛光子はとても素敵だった。彼女が演じたのは作家の佐藤愛子である。そして、映画のタイトルとなっているのは佐藤愛子のベストセラー・エッセイ集のタイトルであり、今回は彼女がこのエッセイを書くに至った経緯が描かれている。
僕は佐藤愛子の小説もエッセイも読んだことはない。だが、その姿は何度かテレビで見ている。
前田監督は草笛に「モノマネはしなくていいですが、見た目は少し近づけたい」と言ったらしい。だから、ここでの草笛の喋り方は佐藤愛子の喋り方とは全く違っている。
メイクや衣装などでは少し本物に近づけてはいるが、ここにいるのはまさに草笛光子の佐藤愛子であり、草笛光子らしい佐藤愛子なのである。そこが素晴らしい。
佐藤愛子に何度断られても厚顔無恥にしつこく食い下がってエッセイ執筆/連載を勝ち得た編集者・吉川に扮していたのが唐沢寿明だ。時代遅れの昭和男らしく結構デフォルメしてオーバー目の唐沢の演技と、どこまでも自然体で、ときに老人らしく愚痴ったり狼狽えたり、聞えよがしに大声を上げたりする 90歳の作家を演じた草笛の演技がうまいこと絡み合っている。
その脇を固めて、佐藤愛子の娘役には真矢ミキ、孫には藤間爽子、吉川を捨てて出ていった妻に木村多江らがいて、面白おかしい人間模様が描かれる。ちょい役で出てくる三谷幸喜やオダギリジョーもおかしい。
巧い本だなと感心しながら観たのだが、エンドロールを見ると脚本は大島里美だった。この人はほんとに巧いよね。吉川というキャラクターを登場させたのも彼女のアイデアとのことである。
そして、作中で紹介される佐藤愛子のエッセイの一つひとつが、これまたびっくりするほど素晴らしい文章なのだ。
吉川が感涙にむせびながら「やっぱり作家ですね」と言って、佐藤に「何だと思って執筆依頼したのよ」とどやされるシーンがあるが、確かにそう言いたくなる。むべなるかな、である。
3~4編紹介されるこのエッセイだけで、佐藤愛子の気風が良くて愛らしいキャラクターは十全に描かれている。そこに淀みなく自然な草笛の演技が加わって、この作家の魅力をさらに高めるのである。
吉川と妻が最後に話すシーンについて、木村多江は「私自身は、もう少し夫に対して話しづらいのではないかと思っていたのですが、監督の導きで、気持ちのよいシーンになりました」と言っている。
確かに気持ちの良いシーンだった。こういうところが前田哲監督の塩梅の良さなのだと思う。
ラストシーンも非常に良かった。これこそ大団円である。観客みんなが最後にワハハと笑って劇場を出ることができた。
これ、老人だけに見せるのは惜しい映画だと思う。ほんとに出来の良い映画だったと思う。
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