映画『からかい上手の高木さん』
【6月2日 記】 映画『からかい上手の高木さん』を観てきた。
原作漫画があり、それがアニメになり、そして今回の企画の前半となったテレビドラマ全8話がある。テレビドラマと映画の両方を今泉力哉が監督していて、ドラマのほうは Netflix でも見られる。映画は原作にはなかった 10年後の2人を描いている。
僕はテレビドラマから見始めた。もし、今読んでいるこの文章の続きを読んでいただけるのであれば、是非とも先にテレビドラマの記事を読んでほしいと、今回は切に思う。
で、今回のこの記事にはそこそこネタバレも含まれているので、これから両方観て、僕の記事も両方読んでいただけるのであれば、テレビドラマの記事を読むのと Netflix でドラマ版を観るのはどちらが先でも構わないが、この映画評をお読みいただくのは映画を観た後のほうが好ましいと思う。
さて、今回の映画で僕が一番心配したのは永野芽郁だった。
プロデューサーの大澤祐樹は「最初から永野芽郁しかないと思っていた」と言っているが、僕は原作を読んでいないせいか、あるいはテレビ版にのめり込みすぎたのか、テレビ版で中学生時代の高木さんを演じた月島琉衣とのイメージ・ギャップが気になった。
どう見ても月島琉衣のほうが色っぽいのである。
いや、まだミドルティーンだからそんなお色気ムンムンであるはずがないのだが、早熟さと子供っぽさの中間に不思議な色っぽさが漂っているのが月島琉衣だった。それに比べて永野芽郁は、間違いなくうまい役者ではあるが、あまり色っぽさが感じられない。
このギャップは映画が終わるまで僕の中では解消しなかったが、でも、それはそれとして好演だったと思う。
一方、西片のほうだが、最初はスタッフの間でも「高橋文哉ではカッコよすぎるのではないか」という懸念があったらしいのだが、こちらのほうは永野芽郁の言う「ポンコツな」西片を絶妙に体現して、テレビ版で中学時代を演じた黒川想矢のイメージを見事に引き継いでいた。
あの、おどおどした感じ、言葉に詰まる感じ、一瞬ニヤけて真顔に戻る感じ、どこまでも鈍感で高木さんの恋心に気づかない不思議な感じ。
ま、高橋文哉は今でこそイケメン役ばかりやっているが、2021年の MBS のドラマ『夢中さ、君に。』では(自分がイケメンであることを隠すためではあるが)メガネをかけて、制服の上着の裾をズボンに突っ込んだダサダサの役をやっていたしね。
今泉監督は永野芽郁には「もうちょっと永野さんらしく」、高橋文哉には「もう少しオーバーに」という演技づけをしたらしいが、それが的確に作用している。
さて、中身の話に移ると、映画の冒頭で、まだ画が始まる前にアニメっぽい歌が流れ始める。「あ、これ、聞いたことがある。何やったっけ?」と思ったら、今では母校の体育教師になった西片が、スマホでアニメ『100%片思い』を観ているシーン。あ、そうか、これテレビ版であったやつ! 高木さんと西片が、どっちが憶えているメロディのほうが正しいのか勝負をしたやつ。
そんな風に、この映画は見事にテレビ版と繋がっている。もちろんテレビ版の映像もふんだんにインサートされている。
だから、誰もいない教室の掃除用具入れの横に箒が出しっぱなしになっているのを西片が見つけた瞬間に、すでに観客は掃除用具入れの中に高木さんが隠れているんだろうなと思ってしまう。
教室の、一番窓側の一番後ろの2席が映っただけで、テレビ版での2人の様々なやり取りが甦ってくる。実際大人になった2人がそこに座るシーンになると、あ、やっぱりここに座るんだ!と妙に納得して笑ってしまう。
テレビ版では高木さんが自転車で西片は徒歩で登下校していたが、ははあ、映画では逆にしたのか、と自分の発見になんだか嬉しくなってしまう。
堤防のロングショットが映った途端に、ああ、ここで2人は座って片耳ずつイヤホンを使って、あのアニメ曲を聴いたんだったなと思い出してしまう。
教育実習生の高木さんが不登校の生徒・町田(齋藤潤、= おお、『カラオケ行こ!』『9ボーダー』の彼ではないか!)を山のほうに連れ出したシーンでは、きっと彼女が中学時代に西片を連れて行った高台に行くぞ、と予測がつく。そして、実際そこに到着し、あの美しい景色が見えたところでテレビ版のシーンも甦ってくる。
この映画はそんな風にして観る映画だと思う。
2人の不器用な恋は却々実らない。
その彼らの周りに、もともと2人の同級生でテレビ版でもすでにつきあっていて映画の中で結婚式を挙げる中井(鈴木仁)と真野(平祐奈)、つきあっては別れてを繰り返している浜口(前田旺志郎)と北条(志田彩良、= 今泉作品の常連ですね)、2人とも西片の生徒で、女子からの告白で関係がギクシャクしてしまう大関(白鳥玉季、= 小さい頃から名子役だったけど、あと数年でトップ女優になると思う)と町田、学校の帰りにキスしてる中学生カップル、そして、西片と高木のかつての担任で今は教頭になっている田辺先生(江口洋介)らを、年齢に関係なく「恋愛の先輩たち」として配置した設定は非常にうまいと思った。
テレビ版と同じく小豆島のロケが素晴らしい。絶景ポイントだけでなく、のどかな田舎道も含めて。
そして、岩永洋のカメラ。今泉監督だから、いつもの長回しがある。
海岸の堤防沿いの道を、話しながらこちらに歩いてくる2人をカメラを引きながら正面から撮った長回し。
廊下の曲がり角で話をする大関と町田を、寄らずに引いた画の固定カメラに収めたのも、ああ、良い構図だ!と思った。
そして、教室の後ろの席で2人が自分の思いを話す、長い長い長い固定長回し。だいぶ経ってから2人の顔のアップの切り返しも入って、また長回しに戻るのだが、このシーンは恐らく止めずにいっぺんに撮っている。
とても良いシーンだ。2人と机と教室の後ろの壁が映っているだけなのに、圧巻のシーンである。
西片と高木さんについて不思議に思ったことが2つあった。
ひとつは西片はどうしてあそこまで高木さんの気持ちに気づかず、それとない誘いにも乗ってこないのか?ということなのだが、これは終盤の西片の「この年になってこんなこと言うのは恥ずかしいけど、僕は人を好きになるという気持ちがよく分からない」という台詞で、なるほどそういう人物だったのかと腑に落ちた。
そして、高木さんについては、彼女はどうして西片が自分を嫌いになったり他の女の子に気を取られたりしないかと心配にならないのか? 恋は人を不安にさせるもののはずなのに、どうしてあんなに一点の曇りもなく無邪気に西片をからかい続けられるのだろう?と不思議に思っていたのだが、映画を観ていて、これは微動だにしない不動の恋心なのであって、西片がどんな反応を示したとしても彼女はきっとそういう反応をする西片のことをもっと好きになるんだろう、という風に理解できた。
ひょっとして2人は童貞と処女なのかな?と余計なことまで考えてしまったが、どちらがどうであってもこの2人なら間違いなくうまく行くだろうという気がして、エピローグを観て「ほらね」と思った。
とても良い映画。そして、今泉力哉にしか撮れない映画。
今泉力哉は最初「中学生の青春ものなら、他の監督のほうがうまく撮れる」と断りかけたのが、原作を読んで「基本的には派手なことが起こらない日常の繊細なやり取りを描いたものだったので、それなら自分にしか作れないもの、自分がやれることもあるのかなと思って引き受けました」と言っている。
まさにその通りの作品になっている。ただし、テレビ版から通して全部観ることが前提である。感動の積み上がり方が全く違うから。
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