『冬に子供が生まれる』佐藤正午(書評)
【6月10日 記】 この小説を読み終えて最初に思ったのは、すぐに「伏線が回収できていない」などと騒ぎ立てるような若い連中には、この小説はからっきし受けないんだろうな、ということ。
彼らは小説の途中で分からないことがあるとそれを「伏線」だと思い、自分が読み終えるまでにその全てを分かるようにしてくれるのが作家だと考えているのだろう。
だが、現実の世の中がそんな風ではないように、小説というものもそんなものではないし、佐藤正午という作家もそんなものは書かない。
佐藤正午という作家は読者を宙吊りにして不安を煽る作家だ。
ただ、今回は、こういうことは僕の場合時々起きるのだが、割と早い段階で、僕は電子書籍で読んでいるのでページ数は言えないがキンドルの%表示で言うとちょうど 20% のところで、あ、そうか、これはつまり大体こんな感じのことが起きているんだな、と読めてしまった。
だから、中盤以降は、いつもの佐藤正午を読んでいるときのような不安感は少なく、ただ自分の読みがどれくらい当たっているかを確かめる旅になった。
とは言え、やっぱり佐藤正午である。主人公のマルユウこと丸田優はいきなり「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」というショート・メッセージを受け取るのである。彼は未婚である。なんとも言えず、ざわざわした感じの物語の切り出し方ではないか。
しかも、今ではメジャーな存在になってテレビに出ている高校の同級生たちのバンドが、自分を元メンバーのベーシストだったと言っている。それはマルユウではない。でも、彼ら全員が取り違えている──マルユウと誰かを。
2つ目の章ではマルユウは登場せず、マルセイこと丸田誠一郎の話になる。と言っても、この章はマルセイの葬儀から始まる。またも不吉な出だした。
マルセイはいったん口を結び、ぎゅっと顔をしかめてみせてから、フォークを使ってモンブランの崖を抉り取った。
これはもっと後ろのほうの章だが、ケーキを食べるシーンでさえ、「崖を抉り取る」などと描かれているのだ。
そう、こういうのが佐藤正午なのである。ねっとりとした不穏な空気をまとった謎。
非常に分かりにくい。次の章はまた別の話、マルユウとその父親のエピソードだ。分からないまま読者は次の章、次の章へと読み進むしかない。
そう、世の中ってそんな風に分からないことが溢れている。そして、それは、小説の最後のページに差し掛かったからと言って急に分かるはずがない。僕は早くからこの小説の終わり方を想定していた。
もうひとりの主な登場人物である、マルユウ、マルセイの同級生である佐渡くんは、自動車についてこんなことを言っている:
遠い昔に考案された古い乗り物がいまも実用性を保っている。
一体、こんな自動車観を持った読者がいるだろうか? こういう感じ方が佐藤正午なのである。
夫に先立たれ、娘も出て行ってしまって、ひとりぼっちになってしまった杉森先生は言う:
独り言は、そばにいる人に聞いてもらって初めて独り言なんだよ。
こういう洞察力が佐藤正午なのである。
そして、最後の最後になって、彼はこんな風に書いている:
いくつだろうと生きている人間は泣くのだ。
そう、これはそういう小説だ。この感慨が分からない人は、ひょっとしたら読まないほうが良い小説なのかもしれない。
とても余韻の深いミステリだった。
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