『化学の授業をはじめます。』ボニー・ガルマス(書評)
【5月4日 記】 世間では女性の解放を謳ったウーマンリブ小説のように言われているが、読んでみるとそうではなく、ジェンダー・バイアスに限らず、世の中にはびこるありとあらゆる既成概念と戦う女性の物語である。
主人公のエリザベス・ゾットがたまたま女性であったので、女性に対するさまざまな抑圧や障害に焦点が当たっているが、じゃあ、もしもこの主人公が男性だったら世の中の理不尽な、あるいは、根拠のない馬鹿げた因習に大人しく従っていたかと言うと決してそうではないだろう。
エリザベスは化学の研究者であったが男性社会の壁に阻まれてまともな扱いを受けられず、博士号も取れず、就職した研究所では単なる助手として扱われる。
それが、我がままで超個性的な天才化学者キャルヴィン・エヴァンズと出会って同棲し、賢い犬シックス=サーティも家族になり、キャルヴィンは事故死するが、可愛い娘のマデリンを産んでシングル・マザーとなる。
やがて彼女は文句を言いに行ったテレビ局のプロデューサーのウォルター・パインに請われて嫌々テレビの料理番組のキャスターとなる。
彼女はその番組の中で、ウォルターの指示を無視して好き勝手に喋り、一方で料理を化学で解説し、他方で視聴者の女性たちを鼓舞する。
彼女はウォルターに言う:
視聴者は、自分が学習した社会的な振る舞いに──たとえば、“男らしさとはこう、女らしさとはこう”という古い規範に──とらわれていることに気づくかもしれませんが、番組を観ているうちに、そういう愚かな文化から自由になった観点で考えることができるようになるんです。
(中略)だから、あなたはわたしをクビにしたいんです。あなたが求めている番組は、社会規範を強化するものですから。それは個人の能力を限定します。
そう、この小説は全編にわたってそういう社会規範を変革し、個人を解放しようとする試みなのである。
彼女は言う:
不当なルールを作ったのは文化や宗教です。
宗教はわたしたちを責任から逃れさせるものだと思います。
と。
そんな風に書くと、なんか勇ましい女性の物語のように聞こえるかもしれないが、実のところは、エリザベスのハチャメチャな言動、それを制御できないウォルターのオタオタ、おませなアマンダのつっこみ、隣人ハリエットのおせっかい、シニカルなシックス=サーティなどなど、豊かに描き分けられた登場人物たちによってシチュエーション・コメディ的な面白さを前面に打ち出した小説なのである。
ただ、ここに登場する悪役たちはまさに絵に描いたような悪役ばかりで、さすがに底が浅いなと感じる読者もいるとは思うが。
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