映画『水深ゼロメートルから』
【5月3日 記】 映画『水深ゼロメートルから』を観てきた。山下敦弘監督。
2019年に当時高校3年生だった中田夢花が書いて四国地区高等学校演劇研究大会で最優秀賞を獲った戯曲の映画化──と書くと、『アルプススタンドのはしの方』を思い出す人も多いと思うが、まさにあれに続く高校演劇リブート企画第2弾なのである。
僕が名前を憶えている出演者はさとうほなみしかいなかった。と言うか、彼女は体育の先生役で、この映画に出てくる唯一の大人なのだ。そして、まさに大人という存在をひとりで体現している。
あとは女子高生しか出てこない。僕が知らない役者たちだ(調べてみたら、そのうちの2人は僕が勤めていたテレビ局のドラマに出演していたようだが)。
最初のカットは夏の空。そして、高校。3つ目のカットで野球部のグラウンドの引いた画。そして4つ目のカットがプール。次のカットでそのプールは水が抜いてあって、底が砂に埋もれていることが分かる。いくらなんでも砂の量に誇張があるとは思うが、野球部が練習しているとグラウンドから砂埃が飛んでくるという設定だ。
ミク(仲吉玲亜)とココロ(濵尾咲綺)が山本先生(さとうほなみ)から、体育の「補習」としてプールの掃除を命じられる。そこに水泳部のチヅル(清田みくり)がやってきてプールの底に腹ばいになって泳ぐ真似をしている。その後、水泳部の前の部長(つまり3人より1学年上)のユイ(花岡すみれ)もやってきて、なぜだか掃除を手伝う。
もうひとり出てくるのは、クラスでは「一軍」であるココロのグループのリンカ(三浦理奈)。彼女はグラウンドで練習している野球部のマネージャーで、プールには現れない。プールまで届く明るい声と、飲み物を買いに行ったミクと出会って話をするシーンのみ。
ミクとチヅルと同じ中学出身で、中学時代は水泳部だったのが今は野球部のエースになっている男子・クスノキは、しきりに話題には上るが、わずかに後ろ姿のワンカットのみである。
ミクは小さい頃から阿波踊りをやっていて、いまだに女踊りではなく男踊りをやっている。みんなからやって見せてと言われても恥ずかしがって(なのか?)踊ってみせようとはしない。
チヅルは水泳一筋に猛練習してきたが、インターハイには行けず、クスノキにもタイムで負けてもやもやが晴れない。
ユイは泳ぎも速くなく、何故部長になったのかも分からず、自分に自信もない一方で、いつも前向きに頑張ってきたチヅルをすごいと思って、いつも心のなかで応援している。
ココロは校則で禁止されている化粧を堂々として、おしゃれに余念がない。掃除も「こんなの無意味だ」と言ってほとんど手伝わない。
ほとんどがプールでの会話劇である。悲しいくらいなにも起こらない。そのかわりに驚くほどリアルな女子高生の会話がある。とにかくそのけだるい感じがなんとも言えない。
4人の個性の描き分けがしっかりできている。噂話をするだけでもそれぞれの感受性の違いが出ている。
この登場人物のうちの誰かが(原作者であり今回は映画のために脚本を書き直した)中田夢花の分身であり、他の人物は彼女が実生活でつきあってきた誰かをモデルにしている、というような構造では多分ないと思う。
この4人が4人とも中田夢花の中で分裂する、自分自身のキャラクターの欠片なのではないだろうか。そんな切実感があるのである。
女子の会話である。メイクとか生理とか、ちょっと僕らが口を挟めないような話題が続く。
結局僕らは「女の子はいろいろ大変だね」ぐらいのことしか言えず、じっと観ているしかない。「心のひだひだが描かれている」とか「息遣いを感じる」とか「青春のゆらぎ」とか「ジェンダーバイアス」とか、そんなお題目を並べてみても仕方がない。
とにかく観たら圧倒されると思う。
途中、メイクや生理や校則や大人の態度を巡ってココロと山本先生の激しい言い合いがあったりもする。まさに女性性を描いた話で、そこには多分山下敦弘監督も口の出しようがなかったのではないかと推察するのだが、しかし、これがびっくりするほと山下敦弘カラーの映画になっているのである。
ずっとプールにいると絵変わりがなくて飽きると思うかもしれないが、プールサイドとプールの底には高低差があり、どこにカメラを据えるかによって、かなりのバリエーションが得られる。
そして、この水を抜いたプールの底をタイトルで「水深ゼロメートル」と称したセンスは秀逸だと思った。
引きの画が多く、クロースアップはほとんどない。時々歩いている2人を正面から撮ったとんでもない長回しがあったりもする。
なにしろ、曰く言い難い映画である。見逃さなくて良かった、としか言いようがない。
ラストのカットがまた良いのだ。『もーれつア太郎』のテーマ曲に「ガンと一発しびれる啖呵」という歌詞があるが、あれを思い出した。
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