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Friday, March 01, 2024

『客観性の落とし穴』村上靖彦(書評)

【2月29日 記】 この本は思っていたものとはちょっと違っていた。僕は論理の本だと思って買ったのだが、著者は長年弱者や困窮者のサポートに携わってきた人で、これはケアの本だった。

身も蓋もない言い方をしてしまうと、これは「論理性」の不完全性を暴いた本ではなく、一人ひとりの体験に寄り添ったケアをしましょうという本である。

書かれていることに異存はないと言うか、確かにそうだと同意できる内容ではあるのだが、最初に僕が持ってしまったイメージからすると、これはちょっと肩透かしだった。

僕としては、「客観性を完全な指標として議論を進めてしまうと思わぬ陥穽にはまってしまう」ということを、客観的かつ論理的に説明してほしかったのである。もちろん著者がそういう説き方をしている部分もある(特に前半部分)のだが、僕はこれでは足りないと思う。

しかし、一方で客観性には落とし穴があると言いながら、それを客観的に説明しようとすると矛盾が生じるのではないかと考える御仁もおられるだろう。

でも、誰かを納得させるためには、僕は相手の土俵に上がり込んで、相手のフンドシで相撲をとって相手を負かす必要があると考えている。そうしないと相手は往々にして負けを認めないのである。

そして、著者も決して客観的なデータというものを全否定しているわけではない。それが科学を発達させ、人類の進歩に大きく寄与していたことは彼も重々認めている。

その一方で、

客観性が支配する世界はたかだか 200年弱の歴史しか持たない。

と言い、

客観性を重視する傾向と、社会の弱い立場の人に厳しくあたる傾向には(中略)数字によって人間が序列化されるという共通の根っこがある。そして序列化されたときに幸せになれる人は実のところはほとんどいない。勝ち組は少数であるし、勝ち残ったと思っている人もつねに競争に脅かされて不安だからだ。

とか

客観化する学問そのものが悪いわけではない。客観化が、世界のすべて、人間のすべて、真理のすべてを覆い尽くしていると思い込むことで、私達自身の経験をそのまま言葉で語ることができなくなることが問題なのだ。

などと書いている。

その辺りまで僕はかなり熱心に読んだ。

しかし、後半はケアの実例をふんだんに取り込んだ話になり、恐らくそれこそが真に著者が書きたかったことなのだろうから失礼だと言われるかもしれないが、僕は少し醒めてしまった。

著者が書いていることに反発したりはしないし、なるほどと思う点もかなりある。しかし、その内容であればこのタイトルにしないでほしいと思うのである。

ま、これ以上書くと僕がこの本をディスっていると思われるだろうから、この辺でやめて、あとはこの本の中で僕がマーカーを引いたところをいくつか引用して終わりにしたいと思う。

客観性と数値に依拠するデュルケームの社会学は、その帰結として正常と異常を区別することになる。多数者が正常であり少数者が異常なのだ。

「点数の高い点に受験生が殺到するのではないか」
「それは、他人の点数だ(中略)しかも平均点だ。英語と数学の平均点を出して、何が出てくるのか」
(※文中の「中略」は僕が略したのではなく、著者によるもの)

リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。

社会科学の論文のみならず新聞や雑誌がインタビューを用いるときには、要約し、わかりやすく書き直すことがほとんどである。しかし、私はあえて「語られた言葉をそのまま記録する」ことの重要性を主張していきたい。

多くの社会科学は、客観性を重視するがゆえに、困難の当事者に外部からラベルを貼って説明する。

競争と勤勉さという社会規範に多くの若者はますます従順になっていると感じる

こうやって並べると、僕が普段から書いたり考えたりしていることにかなり近いのだが、本全体の印象としてはそこから少し離れてくる感じがある。

まあ、でも、大体はこういう本である。

あと一点だけ:

文中ほとんどルビを振った箇所がないのだが、不思議なことに著者は「他人事」に「たにんごと」というふりがなをつけている。これは何の意図なんだろう? 確かに昨今これを「たにんごと」と読む人が増えていることは認識している。しかし、本来の読みであり、辞書的にいまだに正しいとされるのは「ひとごと」という読みである。

著者はこれを「ひとごと」と読むことを拒否しているのだろうか?

彼がどう読もうが勝手だが、ルビまで振られるととても他人事とは思えない。

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