『八月の御所グラウンド』万城目学(書評)
【3月10日 記】 僕は万城目学の本を今まで3冊読んでいる。『鴨川ホルモー』、『プリンセス・トヨトミ』、『バベル九朔』である。その中ではこれは『鴨川ホルモー』に一番近い。
しかし、僕は全く知らなかったのだが、京都を舞台に彼が小説を書くのはなんと 16年ぶりなのだそうだ。そして、僕がこの本を買ってから読むまでの間に、この作品で直木賞を受賞してしまった。
京大出身の作家は何人かいるが、今の時代を代表するのは万城目学と森見登美彦だろう。
森見が主に京大生という「人」に目を向けている感があるのに対して、万城目は京都という「土地」にひたすら焦点を絞っている感があると思う。この小説はまさにそういう小説である。
最初僕は勘違いしていて、この本は表題作1作のみを収めたもので、冒頭の『十二月の都大路上下ル』はその最初の章だと思っていた。
それで、「ははぁ、出だしは全国高校駅伝の大会に地方から上洛してきた女子高生が、レース中に自分と並走している新選組の面々を見て驚く話で、次がとある京大生がわけあって出場した御所グラウンドでの草野球のリーグ戦に死んだはずの名選手が参加する話で、この2つがしばらくは交互に語られた後、どこかで交錯してくるんだな」と思っていたら、いつまでも御所グラウンドの話が続いてそのまま終わってしまって驚いた。
そういう意味では、『十二月の都大路上下ル』は短い話であるし、続編がありそうな形で終わっているのに対して、『八月の御所グラウンド』はくっきりと起承転結をつけて終わるしっかりとした中編である。
いずれも京都が舞台になっていて不思議なことが起こる小説ではあるのだが、前者が他県から京都に一時的にやってきた女の子たちの話であるのに対して、後者は京都で暮らしている京大生の、しかもわけあって帰省も旅行もせずに、地獄のように暑い8月の京都に留まって呻いている4回生の話である分、万城目らしさ、京都らしさが際立っている気がする。
焼肉屋が入った雑居ビルから出ると、澱んだ夜の熱気に包まれ、高瀬川はいつも以上に存在感薄く、限りなく低い水位でもって日々の営みを続けていた。
等々、この作家でなければ書けないだろうなと思うようなフレーズが随所に出てくる(高瀬川の畔を歩いたことがなければ分からないかもしれないが)。
そして、同じことを感じた人も多いと思うのだが、この野球小説を読んでいて僕が思い出したのは W.P.キンセラの『シューレス・ジョー』である。
キンセラは僕が死ぬほど好きな、愛して止まない作家なのだが、残念ながら日本での知名度は低い。ただ、この作品は映画化されたので、ご覧になった方もおられるだろう。邦題は『フィールド・オブ・ドリームス』である。
あの小説ではとうもろこし畑からシューレス・ジョーが現れるが、この小説では自転車に乗って往年の名選手が現れる。
「じゃあ、ここが京都だから」
と多聞は言う。
そう、京都ではどんな不思議な、どんなミラクルなことが起きてもおかしくないのである。──そういう雰囲気がたっぷり愉しめる小説だった。京都に住んだり通ったりしたことのある人ならなおさら愉しめると思う。
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