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Wednesday, March 20, 2024

映画『ゴールドボーイ』

【3月20日 記】  映画『ゴールドボーイ』を観てきた。非常に面白かった。

金子修介は僕の好きな監督だが、映画館で観るのは『百年の時計』以来、なんと 11年ぶりである。

まずは原作として中国の小説があり、それが配信ドラマのシリーズとなったらしいが、今回はその舞台を沖縄に移して日本らしいドラマに書き換え、1か月を超えるロケを敢行して2時間強の映画にしたもの。監督は配信ドラマはほとんど参考にしなかったと言っている。

クライム・エンターテインメントと言われるジャンルで、ストーリー自体もかなり凄惨で壮絶なものだが、僕が一番感じたのはそのカメラワークのすごさである。

映画なので当たり前なのだが、これぞ映画という感じの、ものすごく”映画的な”カメラワークなのである。

寄ったり引いたり、ポンポンと切り替えて短いカットを重ねていたかと思うと急にカットを割らない長いシーンになったり、ゆっくりと回ったり微妙に動いたり、その塩梅が何とも言えず心に訴えかけてくる感じがした。

突然帰ってきた父親に襲われそうになった夏月(星乃あんな)が、父親が死なずに生きていたことが分かって逆に安堵し、朝陽(羽村仁成)と家を飛び出し、2人で手を繋いで走り、角を右に回るところを正面から先回りして捉えた映像とか、朝陽・浩(前出燿志)・夏月の3人が最後に東昇(岡田将生)の部屋を尋ねた時に、一人出遅れた夏月の振り返ったアップとか、ものすごく印象に残る良いカットがたくさんあった。

撮影は柳島克己である。

ストーリーは沖縄の大財閥の会長の娘(松井玲奈)と結婚した東昇が崖から会長夫妻を突き落として殺すところから始まる。朝陽・浩・夏月の3人は近くの海岸に遊びに来ており、夏月の写真を撮ろうとした朝陽が間違って撮ってしまった動画に殺害の一部始終が映り込んでいた。

それぞれに複雑な家庭環境で育ち、そこから抜け出したい3人は、それを警察に届けるのではなく、東昇を恐喝して大金をせしめようとする。

脚本は港岳彦だ。特に好きな脚本家というわけでもないが、ここ何年もオファーの絶えない売れっ子脚本家であることは確かだ。

最初のほうで、浩と夏月が父親を殺したかもしれないと言ったのに対して、朝陽が即座に「13歳までは何をやっても罪に問われない」と答えるところに不自然さを感じたのだが、映画を最後まで見ると、なるほどそういうことだったのかと納得できる。

他にもそんな風に台詞回しがうまく繋がるところがいくつかあり、そういう意味では手練の脚本家だなあと思った。

よく練られた筋運びで、安易に先を読み切らせない展開だった。異常なサイコパスによる犯罪映画ではなく、あくまでフツーの人間の心の闇みたいなものを描いていたのも良かったと思う。

朝陽と夏月に、原作にはなかった幼い恋愛の要素を組み込んだのも、映像作品の味付けとしてとして効果的だったと思う。初めてのキスをしようとした2人に、ちょっと離れたところからそれを見ていた別のカップルが無言で囃し立てるいたずらっぽいシーンも僕は大好きだった。最後の最後に至るまで、夏月は本当に良い役柄だったと思う。

しかし、それにしても星乃あんなはさすがにニコルの専属モデルだ。めちゃくちゃ初々しくて愛らしい。売れてくると思うよ。

これまでは平成ガメラ3部作の金子監督と言われたが、これからはこの作品が名実ともに金子修介の代表作になるのではないだろうか。ガメラと言っただけで子供相手の作品だと思ってしまう人がいるだろうから、こちらの作品で語られるほうが金子監督にとっても良いと思う。

岡田将生や朝陽の母親役の黒木華らの好演もあったが、それにしても金子監督は若い子たちを主人公にした作品づくりが実に巧いと思った。扱われているのが結構重い犯罪であるので嫌悪感を抱く観客もいるかもしれないが、大人が子供に翻弄されるという構造を、僕は歓迎したい。

僕は気を逸らされることなく大いに楽しんだ。沖縄を舞台にしているのに誰一人として沖縄の方言をしゃべっていなかったこと以外は、文句のつけようのない映画だったと思う。

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