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Friday, March 29, 2024

『<きゅんメロ>の法則』スージー鈴木(書評)

329日 記】 多少とも楽器をやってきた人であれば、著者が編み出してこの本で展開している「ス式楽譜」やその説明文を読むと、ちょっと幼稚な印象を受けるだろうと思う。

でも、読み進めて行くと、スージー鈴木の知識は想像以上に広く、分析は意外に深く、その説明は非常に分かりやすいということに納得してしまう。

「Fmaj7 は F の上に Am が乗っかったもの」「Em7 は Em の上に G が乗っかったもの」などという説明の仕方も非常に良いと思う。

この本は彼が「きゅんメロ進行」と名づけたコード進行  IV → V → IIIm → VIm が J-POP においてどれだけ使われているか実例を示しながら、何故その進行がとりわけ日本人に受けるかということを切々と説いた本である。

「切々と」と書いたのは、彼のこのコード進行に対する比類なき愛情を感じるからである。

「きゅんメロ進行」はもちろんこれだけではない。この進行を基本形として、そこには当然代理コードも当てはめられるし、さまざまなバリエーションがある。

そして、そのそれぞれについて「後ろ髪進行」「おくれ毛進行」「イケイケダンス進行」「きゅーーーんメロ進行」などというネーミングがいちいち秀逸である。

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Thursday, March 28, 2024

スージー鈴木のレコード研究室Vol.19

【3月28日 記】  先日の”<きゅんメロ>フェス”に続いて、昨日またスージー鈴木のイベントに行ってきた。今回は「スージー鈴木のレコード研究室Vol.19 1970年代の東芝EMIニューミュージックナイト」。Photo_20240328130201

何をするイベントかと言うと、何のこたぁない、素晴らしい音響機器を備えた Music Hall and Bar BAROOM でひたすらレコードを聴くのである。間にスージー鈴木とチカチカ・バンビーナの楽しいおしゃべり/解説が入る。

今回行ってみて痛感したのは、スージー鈴木って本当に趣味が良いなあということだ。

原則として1アーティストにつき1曲しかかけないので、何を選ぶかが彼のセンスを物語ることになるのだが、チューリップで『魔法の黄色い靴』を、甲斐バンドで『かりそめのスイング』を選ぶ辺りは卓越したセンスだと思う。

両方とも、それぞれのバンドで僕が一番好きな曲だと言っても過言ではないし、両方ともそれぞれに僕が最初に聞いてぶっ飛んだ作品だ。

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Wednesday, March 27, 2024

『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣(書評)

【3月27日 記】 森博嗣の小説は彼のデビュー作『すべてが F になる』を読んで以来である。僕はストーリーよりも、「なるほど!16進数の F か!」とタイトルに惹かれたのだった。

その後は僕が特にミステリや SF のファンではないこともあって読んでいなかったのだが、この小説は所謂"理系ミステリ"ではないがとても素敵な小説だと誰かが書いていたのを読んで、俄然読みたくなった。

確かに、何も起こらない。いや、小事件は当然いろいろと起きるが、推理をしたくなるようなことは何も起こらない。

これは小説というよりは森博嗣の日記か自叙伝のようなものだ。多分彼の大学院時代はこうだったのではないかと思う。

もちろん主人公の名前が森博嗣ではなく「橋場くん」であるように、個別の設定や具体的なストーリーは小説用に作られているだろうけれど、彼が大学や大学院で過ごした雰囲気、そして彼がそこで吸収した無形の財産は、まさにこんな感じのものだったのだろう。

そして、まさにここで描かれている喜嶋先生のような研究者に師事していて、まさにここで描かれているような幸せな日々を過ごしたのだろうと思う。それがビシビシ伝わってくる。

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Tuesday, March 26, 2024

フリーレンという名前

【3月26日 記】  かく言う私もそのひとりですが、日テレのアニメ『葬送のフリーレン』が終わってしまって、フリーレン・ロスに呆然としている御仁も少なからずおられるのではないかと推察します。

ある人の note で、フリーレンという名はドイツ語の frieren という動詞(英語の freeze に当たる;「凍らせる」の意)から来ているという話を読みました。

そう言われると、他のキャラクター名もドイツ語っぽい響きを持っているので、ひょっとしたら全登場人物の名前がドイツ語から来ているのかもしれません。

幸いにして私の大学時代の第二外国語は(2年連続「可」だったとは言え)ドイツ語でした。ドイツ語の辞書はまだ捨てずに持っています。そして、ありがたいことにドイツ語の場合は発音から綴りを推定するのが容易です。

ならば、ということで、そんなことはもうとっくの昔に誰かがやってしまっているだろうことは百も承知の上で、メインの登場人物の名前を調べてみました:

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Monday, March 25, 2024

吉柳咲良と趣里

【3月24日 記】  それまで1回も観たことがなかったのに、ただただ吉柳咲良見たさに『ブギウギ』を第24週から、と言うか、とりあえず第24週のみを観た。

僕が彼女を見初めたのは、前に書いた通り、同じ NHK の単発ドラマ『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』の山口百恵役である。この娘は来るぞ!と思った。

そして、今回は趣里が演じる主人公・福来スズ子のスターの地位を脅かす若手天才歌手・水城アユミの役である。やっぱり華がある。輝いている。そして、『ピーターパン』以来主にミュージカル畑を歩いてきただけに歌も巧い。

そんなことを twitter に書いたら、古くからのツイ友が教えてくれたので、NHKプラスで『ブギウギ 時を越える服部良一メロディ ~スペシャル・コンサート~』も観てみたら、さかいゆうとデュエットしたオープニングもさることながら、ソロで歌った『ジャングル・ブギー』がこれまた逸品である。

張りと伸びのある強い中高音域にしびれてしまった。

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Sunday, March 24, 2024

映画『四月になれば彼女は』

【3月24日 記】 映画『四月になれば彼女は』を観てきた。

川村元気が監督した『百花』を観て、この人は映画監督としてはダメかも、と思ったが、プロデューサーとしては有能な人だとずっと思ってきた。彼の小説を読んだことはないが、映画化された『世界から猫が消えたなら』と『億男』は観ていて、悪くなかった(もっとも、映画から原作小説の出来を云々するわけには行かないが…)。

今回はその川村元気の小説を山田智和が映画化した。これが初の長編だそうだ。

却々解釈するのが難しい映画だと思う。観た人みんなが、「あ、分かる分かる、その気持ち」と言える映画ではないと思う。

僕が思ったのは、この映画は“臆病な大人たち”を描いた映画だということ。

そんな書き方をすると、この映画をバッサリと斬り捨てているような印象を与えたかもしれないが、そうではない。僕だって臆病になってしまうことなんてよくあることだから。

ただ、この映画ではそういう側面が強く描かれていると思った。

獣医の坂本弥生(長澤まさみ)は精神科医の藤代俊(愛称:フジ、佐藤健)の診察を受けるうちに彼に惹かれるようになる。患者が医者やカウンセラーに恋心を抱いてしまう、所謂「転移」という現象である。それに留まらず、ここではフジも弥生に「逆転移」してしまう。これは本来精神科医にあるまじき行為/現象である。

あるまじきとは言っても時々あることだから、そういう場合は担当を外れて他の医者に“リファー”することになっていて、この映画でもそのようにしているのだが、なんであれ、2人とも非常に臆病になっている。

弥生はいつか大切なものを失うのではないかという不安に襲われ、フジは学生時代に結局うまく行かずに別れてしまった春(森七菜)への思いを引きずっていて前に進めない。

春の父親(竹野内豊)は妻に去られ男手ひとつで育ててきた娘を手放すことに対して病的なまでに臆病になっている。

春自身も臆病な自分を乗り越えられず、フジと別れてしまったが、今はフジと一緒に行くはずだった海外の土地を旅して回っている。

そう、ある程度吹っ切れているのは春だけなのである。だから、春はフジに手紙を出す。

春が移動中ということもあるが、フジは返事を書かない。一方で、自分との結婚が決まった弥生にその手紙を見せたりしている。それは決して余裕には見えず、むしろ優柔不断に映ってしまう。

しかし、その弥生が今度はある日突然何も言わずに消えてしまう。フジはますますダメになってしまう。あとは弥生がどこに行って何をしていたのかというのがストーリーの鍵になる。

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Saturday, March 23, 2024

映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』

【3月23日 記】  映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観てきた。

この映画については予告編以外一切の予備知識なく見に行った。アニメに詳しくない僕はスタッフ一覧を見ても漫画原作の浅野いにおと脚本の吉田玲子しか知った名前がなかったのだけれど、とにかく予告編が面白そうで、何かピンと来るものがあったから。

果たして、何、このべらぼうな世界観! しかもその総体が見事にコントロールされてる!

3年前の 8月31日に突然宇宙からやってきた直径 5km の黒い母艦がその後ずっと東京上空に浮かんでいる。時折そこから小型船が出てきたりはするが、攻撃するでもなくコミュニケーションを図るでもなく、ただそこにいることによって、住民たちは目に見えないストレスを受けている。

僕は作品をいちいち何かに当てはめたりなぞらえたりして「解釈」するのはあまり好きではないが、これは僕らが現代社会で抱いている閉塞感にストレートに繋がっていると思う。

主人公は女子高生の仲良し5人グループの中でも特に仲の良い2人。

小山門出(かどで、CV:幾田りら)は小学校時代はその「門出」を逆さまにしてもじったデーモンというあだ名をつけられていじめられていた。今は国民的漫画『イソベやん』(これはどこから見てもドラえもんをモデルにしている)が好きなメガネ女子。担任の渡良瀬先生に片思いしている。

中川凰蘭(おうらん、愛称は“おんたん”、CV:あの)はツインテールの個性爆発不思議少女だが、かどでと出会うまでは引っ込み思案のおとなしい女の子だった。

声優にこの2人を宛てたのは大成功だったと思う。

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Friday, March 22, 2024

【note】オープン・エンディングを糾弾するよりも大切なこと

【3月22日 貼】 久しぶりに note の記事を貼り付けておきます。

note には週1以上のペースで書いているので、その記事へのリンクをいちいちここに載せているわけではありません。

かと言って、note に書いた記事を厳選しているわけでもなくて、たまに思い出したらここにもリンクを張る程度です。

もしも気が向いてお読みいただいた節には、いや、お読みいただいてお気に召した場合は、非会員でも♡は押せますので、よろしくお願いいたします。

今回は映画のエンディングについての note です:

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Wednesday, March 20, 2024

映画『ゴールドボーイ』

【3月20日 記】  映画『ゴールドボーイ』を観てきた。非常に面白かった。

金子修介は僕の好きな監督だが、映画館で観るのは『百年の時計』以来、なんと 11年ぶりである。

まずは原作として中国の小説があり、それが配信ドラマのシリーズとなったらしいが、今回はその舞台を沖縄に移して日本らしいドラマに書き換え、1か月を超えるロケを敢行して2時間強の映画にしたもの。監督は配信ドラマはほとんど参考にしなかったと言っている。

クライム・エンターテインメントと言われるジャンルで、ストーリー自体もかなり凄惨で壮絶なものだが、僕が一番感じたのはそのカメラワークのすごさである。

映画なので当たり前なのだが、これぞ映画という感じの、ものすごく”映画的な”カメラワークなのである。

寄ったり引いたり、ポンポンと切り替えて短いカットを重ねていたかと思うと急にカットを割らない長いシーンになったり、ゆっくりと回ったり微妙に動いたり、その塩梅が何とも言えず心に訴えかけてくる感じがした。

突然帰ってきた父親に襲われそうになった夏月(星乃あんな)が、父親が死なずに生きていたことが分かって逆に安堵し、朝陽(羽村仁成)と家を飛び出し、2人で手を繋いで走り、角を右に回るところを正面から先回りして捉えた映像とか、朝陽・浩(前出燿志)・夏月の3人が最後に東昇(岡田将生)の部屋を尋ねた時に、一人出遅れた夏月の振り返ったアップとか、ものすごく印象に残る良いカットがたくさんあった。

撮影は柳島克己である。

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Tuesday, March 19, 2024

【3月19日 記】 群馬県嬬恋村のバラギ高原に行ってきた。

都心からこんなに近いのに、3月も中旬になってこれだけ雪が残っているところがあるのかと少し驚いた。

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Saturday, March 16, 2024

リマインダー

【3月16日 記】  前にもどこかに書いたと思いますが、初めて iPhone を買ったときに、僕は「あ、これは電話じゃないな。手帳だな」と思いました。

そこにはスケジュール帳も住所録もメモ欄も地下鉄路線図も全部揃っていました。

何よりも、例えば住所録などで誰かの電話番号が変わったとか、引っ越したとか、あるいは結婚して名字が変わったとかして書き換えようとすると、それが手帳の場合はめちゃくちゃ汚くなっちゃうんですよね。

かと言って、後で書き直せるように鉛筆で書いたりすると、大学ノートの裏表紙のさなえちゃんみたいに消えてしまいますし。

もちろんそれは携帯電話の登場で概ね払拭されたのですが、ガラケーでは画面も小さく機能も制限されていたので、iPhone の登場によって初めて手帳を捨てても大丈夫なレベルになった気がしました(そして本当に手帳を捨てました)。

で、あれから 14年4か月にわたって iPhone を使い続けてきて、今一番重宝しているのは「連絡先」でもカメラでもソーシャルメディアでもなく、僕の場合それはリマインダーです。

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Thursday, March 14, 2024

映画『マイホームヒーロー』

【3月14日 記】 映画『マイホームヒーロー』を観てきた。

(僕はいつもはあまりネタバレを書かない主義ですが、今回は書きます。書かないと伝えられない点が多いから。ここで読むのを止めるかどうかは各人で判断してください。)

僕は TV版の全10話をとても楽しみに観ていた。古巣の作品だからではなく、視聴者として毎週楽しみにしていた。

これは原作の設定の勝利だと思うのだが、家族を守るためなら何だってやる父親、どこまでも育ちが良い母親、そして目に入れても痛くない可愛い娘、というトライアングルの構成が非常にうまく行っていると思った。

何よりも父親の鳥栖哲雄(佐々木蔵之介)がミステリの愛読者で自らもミステリ小説を書いてネットで公開しているという設定が効いている。

彼は娘の零花(齋藤飛鳥)が悪い男に捕まってしまったことを知り彼女のアパートに行くが、そこで張本人の延人(内藤秀一郎)と鉢合わせしてしまい、揉み合いになったあげく炊飯器で殴り殺してしまう。

普通ならここで哲雄の人生は終わりだ。自首して逮捕されるか、逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。しかし、彼には長年親しんできたミステリの知識がある。それを十全に活用して、死体を処理し、証拠を隠滅し、とりあえずは逃げおおせる。

しかし、延人は半グレ集団のメンバーであり、その上には巨大な犯罪組織の窪(音尾琢真)らもおり、哲雄に疑いを抱いた恭一(高橋恭平)らにどんどん追い詰められる。

一方、妻の歌仙(木村多江)は資産家の娘で、かなりの天然である。死体を処理する夫の手際の良さに驚いて、「あなた、人を殺すの初めて?」などと訊くぐらいである。しかし、意外に肝が座っており、夫に協力して結構大胆な忍び込みやなりすましなども、おっかなびっくりしながらやってのける。

その夫婦が、毎回本当に首の皮一枚だけ残して何とかかんとか生き延びて行くさまが、スリリングでもあり、小気味よくもあった。

──それが TV版の魅力であった。

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Wednesday, March 13, 2024

映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』

【3月13日 記】 映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』を観てきた。古厩智之監督。

ひょっとしたら興行的に大ヒット作は出したことがないのかもしれないが、僕はとても好きな監督だ。

人間の代わりに“バトルカー”を動かしてサッカーをする eスポーツ「ロケットリーグ」の全国高校大会に出場する徳島県の高専の生徒を描いた映画。

達郎(鈴鹿央士)は前からこのゲームやっていて、実力は全国でもトップクラスだ。たが、大会に出場するためにはメンバーを3人揃える必要がある。

募集のチラシを作って校内に貼りまくるが、応募がないので、仕方なく同じクラスの典型的なオタクの亘(小倉史也)を無理やり引っ張り込む。

亘はこのゲームをやったことはないと言うが、普段やっているゲームを聞く限りは反射神経は良さそうだ。ただ、本人は目下とある Vチューバーに夢中で、全くやる気がない。

そこに同じく未経験者で1学年下の金髪ピアス少年・翔太(奥平大兼)が、大会ポスターの「勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」というコピーに惹かれて志願してくる。

これでチームはできた。達郎がつけたチーム名はアンダードッグス(= 負け犬、噛ませ犬)だ。達郎自身のハンドルネームも「木の棒」で、彼によるとこれは「謙遜」とのこと。

翔太はすぐにのめり込んで長足の進歩を遂げるが、その一方で亘は嘘をついて練習にも参加して来ないありさま。

ここまで読んでコメディだと思われたかたもいるかもしれないが、コメディではない。

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Monday, March 11, 2024

『世紀のうた・心のうた』服部良一トリビュート

【3月11日 記】 久しぶりに個別の CDアルバムについて書きます。すこぶる面白かったから。

そもそも僕がこのアルバムを知ったのは otonano に載っていたこの小西康陽のインタビュー記事(現時点で Part2 まで公開中)。即座に Amazon から取り寄せて聴いてみたら、予想以上にナイスなんです。

『ヘイヘイブギー』、『買物ブギー』、『大阪ブギウギ』、『東京ブギウギ』と、服部良一のゴキゲンなブギウギ作品が4曲収められていて、その他にも代表作とされる『東京の屋根の下』、『別れのブルース』、『青い山脈』、『蘇州夜曲』などが、様々な歌い手、様々なアレンジによって繰り広げられています。

僕としたら、あと『三味線ブギウギ』、『夜のプラットフォーム』、『一杯のコーヒーから』、『雨のブルース』、『夜来香』などが入っていれば文句なしなのですが…。総分数が 36分ぐらいだったから、もう少し入れられたのにね。

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Sunday, March 10, 2024

『八月の御所グラウンド』万城目学(書評)

【3月10日 記】 僕は万城目学の本を今まで3冊読んでいる。『鴨川ホルモー』、『プリンセス・トヨトミ』、『バベル九朔』である。その中ではこれは『鴨川ホルモー』に一番近い。

しかし、僕は全く知らなかったのだが、京都を舞台に彼が小説を書くのはなんと 16年ぶりなのだそうだ。そして、僕がこの本を買ってから読むまでの間に、この作品で直木賞を受賞してしまった。

京大出身の作家は何人かいるが、今の時代を代表するのは万城目学と森見登美彦だろう。

森見が主に京大生という「人」に目を向けている感があるのに対して、万城目は京都という「土地」にひたすら焦点を絞っている感があると思う。この小説はまさにそういう小説である。

最初僕は勘違いしていて、この本は表題作1作のみを収めたもので、冒頭の『十二月の都大路上下ル』はその最初の章だと思っていた。

それで、「ははぁ、出だしは全国高校駅伝の大会に地方から上洛してきた女子高生が、レース中に自分と並走している新選組の面々を見て驚く話で、次がとある京大生がわけあって出場した御所グラウンドでの草野球のリーグ戦に死んだはずの名選手が参加する話で、このつがしばらくは交互に語られた後、どこかで交錯してくるんだな」と思っていたら、いつまでも御所グラウンドの話が続いてそのまま終わってしまって驚いた。

そういう意味では、『十二月の都大路上下ル』は短い話であるし、続編がありそうな形で終わっているのに対して、『八月の御所グラウンド』はくっきりと起承転結をつけて終わるしっかりとした中編である。

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Saturday, March 09, 2024

『<きゅんメロ>の法則』出版記念トークショー”<きゅんメロ>フェス”

【3月9日 記】 スージー鈴木・著『<きゅんメロ>の法則』出版記念トークショー”<きゅんメロ>フェス”に行ってきた。めっちゃ楽しかった。内容の興味深さもさることながら、めちゃくちゃ笑わせてくれたしね。

会場は神保町の、ヲタク系の聖地とも言われる書泉グランデだ。Photo_20240309175801

本の予約が入場券代わりだったので、先に注文して、現地で受け取って、終了後に並んでサインもしてもらった。

スージー鈴木を知ったのは BSトゥエルビの『ザ・カセットテープ・ミュージック』で、マキタスポーツがやっているなんか面白そうな番組だと思って観てみたら、そこでマキタスポーツと一緒になって JPOP を縦横無尽に語り尽くしてていたのが彼だった。

書評については読み終えてから改めて書くつもりだが、この著書で彼が書いているのは、日本人が大好きな F → G → Em → Am  というコード進行についてである。

彼は分かりやすいようにキーを C に移して書いている(今回のイベントでの解説も全てそうだった)が、もっと一般的に記せば IV → V → IIIm → VIm  ということになる。

多少とも楽器をやっている人なら分かると思うのだが、日本のヒットソングにはこの進行を使った曲が山ほどあるのである。

この本の裏表紙にその例がずらずらと記されている。それをそのまま写すと長くなるので、いくつか僕が特に好きな曲だけ抜き出すと、

  • 『卒業写真』荒井由実
  • 『群青』YOASOBI
  • 『あの時君は若かった』ザ・スパイダース
  • 『青春の影』チューリップ
  • 『いとしのエリー』サザンオールスターズ
  • 『Woman “Wの悲劇”より』薬師丸ひろ子
  • 『悲しみがとまらない』杏里
  • 『My Revolution』渡辺美里
  • 『想い出がいっぱい』H2O
  • 『そして僕は途方に暮れる』大沢誉志幸
  • 『LOVEマシーン』モーニング娘。

等々、もう名曲てんこ盛りである。

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Thursday, March 07, 2024

映画『52ヘルツのクジラたち』

【3月7日 記】 映画『52ヘルツのクジラたち』を観てきた。

原作は、読もうかなと思いながら結局読んでいない町田そのこの小説。成島出監督はとても良い監督だとは思う(これまで7本の映画を劇場で観た)が、とりたてて僕の好きなタイプでもない。

結局観たのは杉咲花主演だからかな。僕が彼女の名前を脳裏に刻み込んだのは 2013年の TBS金ドラ『夜行観覧車』。

あれから11年。まだ 26歳だというのに、日本を代表すると言って良い女優になった。

どんな話か全く知らないまま観たのだが、しかし、それにしても暗い話だった。

辛い少女時代を過ごした貴瑚(キコ、杉咲花)が第2、第3の人生を生き直す話だ。

最初は発作的に死のうとしたところを助けてくれた高校時代の同級生・美晴(小野花梨)とその同僚の安吾(志尊淳)に救われて。

映画はその後の、彼女にとっての第3の人生の初めから描かれるので、その間に何があったのかは、もう少し見進めて回想シーンから知ることになる。

観ていて初めは少し混乱するが、巧い構成だと思った。

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Monday, March 04, 2024

ポケモンの名前で盛り上がった

【3月3日 記】 ポケモンの日本語名と英語名の話題で英語の先生と盛り上がった。その先生はユダヤ系アメリカ人で、来日して日本語の翻訳者になるべく勉強をしている人だ。

彼は小学校時代ポケモンカードの収集に熱中したのだそうで、僕は年が年だけにポケモンのことは近年までほとんど何も知らなかったが、今では Pokémon GO をやっていると言ったら、そこからポケモンの名前の話になった。

僕の一番のお気に入りのポケモンは何か、と彼に訊かれて、咄嗟に思いつかなかったので、「妻はルージュラが好きだ」と答えたら、彼がルージュラの英語名は何か知っているか?と言い出して、そこから日米のポケモン名の話になった。

で、ルージュラの英語名は何かと言うと、なんと Jynx なのだそうだ。

jynx は何種類かの鳥の学名(ラテン語なのかな?)の一部として使われる単語ではあるが、英語の辞書では出てこない。しかし、ここでは jinx をもじっているのは明らかだ。

jinx は、日本人は「縁起担ぎ」みたいな意味に解してしまいがちだが、英語本来の意味は「悪運」や「呪い」であって、これはルージュラの見事な「意訳」だと思う。

でも、彼によると、こういう風に意訳されているポケモンはそれほど多くはないらしい。

特に初期に登場したポケモンは、その当時はこれが英語に訳されることがあるとは誰も思っていなくて、音の響きや雰囲気だけでつけられた名前がかったため、そういう場合はあまり何も考えずに音をそのまま移していることが多いのだそうだ。

例えばラプラスは Lapras で、ギャラドスは Gyarados なのだそうだ(ちなみに、ギャラドスに進化する前のコイキングは Magikarp で、これは多分 Magic Carp なのだろう)。

ギャラドスの語源についての彼の解釈がまた面白く、ギャアギャア言いながらドスンドスンと動くからではないか、と彼は言うのである。ただ、ギャラドスには足がないから、ドスンドスンというのはちょっと違う気もするけど(笑)

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Saturday, March 02, 2024

三宅香帆と宇野常寛の『夜明けのすべて』

【3月1日 記】 いずれの記事も有料なので、紹介しても全部は読めない方が多いとは思うが、note で三宅香帆と宇野常寛が書いた『夜明けのすべて』についての記事を立て続けに読んで、世の中には1つの作品に対する解釈がこれだけ多様に成立するのだと驚いた。

いや、単にそれぞれの人がいろんな解釈をしているから驚いたわけではない。ふたりともあまりに洞察が深いからである。

単に僕とは違うアングルで対象を見ているというだけではなく、そこから深く掘り進んでいるからこそ、こういうものが書けるのである。僕は、端的に言って舌を巻いた。

僕自身がこのブログに書いた映画評では、映像表現の技法的なものを別にして要約すると、大雑把に言って

  1. 映画の中で嘘っぽい解決や帰着を示していないこと
  2. 多くの登場人物のそれぞれの悲しみやトラウマを描いていること

の2点が優れていると書いている。

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Friday, March 01, 2024

『客観性の落とし穴』村上靖彦(書評)

【2月29日 記】 この本は思っていたものとはちょっと違っていた。僕は論理の本だと思って買ったのだが、著者は長年弱者や困窮者のサポートに携わってきた人で、これはケアの本だった。

身も蓋もない言い方をしてしまうと、これは「論理性」の不完全性を暴いた本ではなく、一人ひとりの体験に寄り添ったケアをしましょうという本である。

書かれていることに異存はないと言うか、確かにそうだと同意できる内容ではあるのだが、最初に僕が持ってしまったイメージからすると、これはちょっと肩透かしだった。

僕としては、「客観性を完全な指標として議論を進めてしまうと思わぬ陥穽にはまってしまう」ということを、客観的かつ論理的に説明してほしかったのである。もちろん著者がそういう説き方をしている部分もある(特に前半部分)のだが、僕はこれでは足りないと思う。

しかし、一方で客観性には落とし穴があると言いながら、それを客観的に説明しようとすると矛盾が生じるのではないかと考える御仁もおられるだろう。

でも、誰かを納得させるためには、僕は相手の土俵に上がり込んで、相手のフンドシで相撲をとって相手を負かす必要があると考えている。そうしないと相手は往々にして負けを認めないのである。

そして、著者も決して客観的なデータというものを全否定しているわけではない。それが科学を発達させ、人類の進歩に大きく寄与していたことは彼も重々認めている。

その一方で、

客観性が支配する世界はたかだか 200年弱の歴史しか持たない。

と言い、

客観性を重視する傾向と、社会の弱い立場の人に厳しくあたる傾向には(中略)数字によって人間が序列化されるという共通の根っこがある。そして序列化されたときに幸せになれる人は実のところはほとんどいない。勝ち組は少数であるし、勝ち残ったと思っている人もつねに競争に脅かされて不安だからだ。

とか

客観化する学問そのものが悪いわけではない。客観化が、世界のすべて、人間のすべて、真理のすべてを覆い尽くしていると思い込むことで、私達自身の経験をそのまま言葉で語ることができなくなることが問題なのだ。

などと書いている。

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