映画『熱のあとに』
【2月3日 記】 映画『熱のあとに』を観てきた。全くノー・マークの映画だったのだが、監督の山本英は東京藝大大学院で諏訪敦彦や黒沢清の教えを受けた人と知って、興味を持った。
しかし、これは却々しんどい映画だった。
冒頭、ビルの外階段を駆け下りてくる女性の足許のアップ。主人公の沙苗(橋本愛)が、自分が愛していたホスト・望月隼人(水上恒司)を刺したという設定は映画.COM で読んで知っていたので、上階で彼を刺して駆け下りてきたのかと思ったら、彼女が降り切った地下(?)に金髪の男が血まみれでうつ伏せに倒れていた。
この辺の繋がりが、映画を見終わった後の今でもよく分からない。ただ、沙苗の殺伐とした、荒んだ感じがとても印象的だった。
6年後に沙苗は小泉健太(仲野太賀)とお見合いをする。健太は沙苗に「なんでそんな死んだ目をしてんの?」と問い、でっかいエビの甲羅を割ってガツガツ食べる。そのがさつな感じがこれまた印象的である。
沙苗の母(坂井真紀)は娘を誰でも良いから誰かとくっつけようとしていて、健太が鈴木と偽って身代わりで来ていることを知りながら、「娘をよろしくお願いします」と言って帰って行く。
銀行員の鈴木のはずが実は林業従事者の健太が、林業の会社の社名入りの車で「近くの木を見に行こう」と沙苗を誘う。沙苗は自分が人を刺して出所して間がないことを明かし、「私たち、気が合いませんね」などと話す。
しかし、次のシーンは「結婚しました」ハガキ用の写真撮影をしている2人である。ここでは沙苗の無邪気ににこやかな、健太を置いてけぼりにするような笑みが印象的。
次のシーンは2人の新居となる元ペンションへの引っ越しシーン。そして、健太が仕事で木を伐るシーン、新宿のメンタル・クリニックに沙苗がカウンセリングを受けに行くシーン…。こんな風に冒頭はシーンを飛ばしながらポンポンと進んで行く。
ただ、そのあとどんどん重苦しくなる。特に近所に小さい息子と住んでいる足立(木竜麻生)という女性が現れてから。
沙苗も足立も自分が愛していた男への気持ちを断ち切れない。唯一、健太だけが「こちら側」の人間の感じで、彼が沙苗とやっていけるのは持って生まれたおおらかさと鈍感さによるものだが、終盤ではさすがに彼も耐えきれなくなる。
そして、他の登場人物も入り乱れて、どんどん悲惨なことになって行く。
そういうのを見ていると、これは下手すると、めちゃくちゃ面倒くさい、痛い女を描いた映画でしかなくなってしまうな、と思った。
とても哲学的な映画とも言えるが、「愛するってどういうことなんだろう」と頭で必死で考えたという印象の、ちょっと理屈が勝ちすぎたきらいの映画である。
とにかく常人にはなかなかついて行けない極限的な方向に沙苗の愛が向かうので、なんというか悲痛である。そう、悲痛という表現がぴったりである。
不覚にも、最後のシーンでの沙苗の台詞が何を意味しているのか、僕には分からなかった。映画を見終わってからパンフレットを読んで、「あ、そうか、あの台詞を踏まえていたのか」と漸く理解した。
それが分かると、この映画の印象が随分改善した。そして、あのときの仲野太賀のなんとも言えない表情がまさに名演技だったと思った。
見ている間は時々「うーむ、この映画、褒めないといけないのかな?」「しかし、なんかちょっと貶し辛い構造の映画だな」などと思ったりもしたのだが、全部見終わると橋本愛と仲野太賀の好演もあって、正直僕にはそれほど刺さらなかったが、まずまずの映画という感じかな。
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