映画『夜明けのすべて』
【2月9日 記】 映画『夜明けのすべて』を観てきた。三宅唱監督。とても良い映画だった。
今回は三宅監督だけではなく、瀬尾まいこの原作であることも観ようと思った理由のひとつなのに、それをすっかり忘れてしまっており、エンドロールを観ながら、
しかし、こんなに何も起こらない、何も解決しない話を映画に撮るのは勇気が要っただろうな。でも、そんな話をきっちりとこんな良い映画に仕上げるのはやっぱり監督の力量なんだろうか。
などと思っていたら「原作 瀬尾まいこ」のスーパーが出てきて、
そうか、これは瀬尾まいこだったのだ! 如何にも瀬尾まいこらしい、瀬尾まいこにしか書けない世界だった!
とため息をついた。
PMS(月経前症候群)のイライラと薬の副作用でせっかく入った会社を辞めざるを得なかった「藤沢さん」(上白石萌音)と、突然のパニック障害で電車にも乗れなくなり、こちらも会社を辞めるしかなかった「山添くん」(松村北斗)が、子供向けの科学学習用品を作っている栗田科学という会社の社員同士として出会い、最初はぎくしゃくしながらも、ほどなくしてお互いの事情を知り、やがてそれとなく助け合えるようになって行く話である。
上にも書いたように、ほとんど何も起こらない映画である。そして、2人の持病については何も解決しない。映画が解決を提示しないことを不満に思う観客もひょっとしたらいるのかもしれないが、僕は嘘っぽい解決を見せてしまう映画のほうがひどいと思う。
人はそれぞれに解決しない問題をいろいろ抱えたまま生きて行くしかないのである。
2人の主人公の間に恋は生まれない。いつまで経っても「さん」「くん」づけで呼び合う、あくまで同僚である。
そしてそれは、いみじくも山添くんが「僕は男女の友情が成立するかどうかなんてどうでもいいんですよ」と言っていた通り、「2人の間に堅い友情が生まれました」という描き方でもない。
実際、藤沢さんは山添くんに、山添くんは藤沢さんに助けられているだけではないのだ。栗田科学の社長(光石研)や山添くんの前の勤務先の社長(渋川清彦)、藤沢さんのお母さん(りょう)や山添くんの恋人(芋生悠)や、その他大勢の人に助けられながら生きているのである。
そして、それら脇役の登場人物もそれぞれにいろいろな悲しみや問題を抱えているのである。そこまでしっかり描かれているのが、この映画の素晴らしさである。
僕は山添くんが「藤沢さんを助けてあげることができると思う」と言ったときに、「いつも」とか「必ず」とか言わずに、「3回に1回くらいは」と言ったことがとても心に響いた。
そう、いつもそばにいていつも助けてくれるわけではない。でも、その「3回に1回」をどう感じるかが大切なのである。
この映画には凝った画作りみたいなものはまるでなかった。
ただ、例えば会社で初めて発作を起こして早退した山添くんを藤沢さんが送って行くシーンで、ちょっと薄暗いトンネルの手前で反対側から3人の女子高生が元気に自転車をこいでやってくるところとか、あるいは、あまり気分がよろしくない藤沢さんの横を、「こんにちは」と元気な挨拶をしながら子供が過ぎて行くシーンなどが、とても印象に残るのである。
それらは筋運びには全く必要のない要素だが、ある種の心象風景めいた効果を出している。
映画の初めのほうで、藤沢さんが山添くんの髪の毛を切ってやるところがあるが、あのシーンを観て僕もあの2人と一緒になって笑ってしまった。これは台本だけを読むとそんなにおかしくはないと思うのだが、それをこんな風にできるのは、演出力なのか演技力なのか分からないが、すごいと思った。
ちなみに、脚本は監督と和田清人の共同で、このコンビは WOWOW『杉咲花の撮休』に次ぐ2回目だそうだ。
プラネタリウムも映画オリジナルの設定なのだそうで、瀬尾まいこは
小説と映画では異なる部分が少なくありません。それにもかかわらず、私が書いた物語がそこにあると思えました。
と言っている。
原作者と制作者の間にこんなハッピーな関係が成立していることもあるのだ。『セクシー田中さん』の件を大変残念に思う。
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