三宅香帆の記憶力
【1月31日 記】 最近僕は三宅香帆のことばかり書いているが、また彼女の記事を読んで感心してしまった。
先日読んだのは note で『ゴールデンカムイ』(原作漫画と実写映画)を夏目漱石の『こころ』と対比して、いずれも「生き残った者の罪悪感を描いた物語」であると総括した記事(有料)である。
この読解力、分析力はすごいと思う。
その読み込む力をすごいと思うのも確かだが、しかし、僕にはできないなと思う一番の理由は、度々書いているように、僕は読んだもの、観たものをいつまでもはっきりと憶えていないということだ。
『ゴールデンカムイ』はさすがに映画を見た直後だからまだいろんなことを思い出せるが、例えば『こころ』となると(僕は少なくとも2回読んでいるはずだが)非常に心許ない。
もちろん大筋で言うと、三角関係のライバルであった男が死んでしまい、彼を死に至らしめたことに対する罪悪感を背負って生きてきた「先生」の話であるという程度のことはかろうじて憶えていて、だからこそ三宅香帆の指摘する2つの物語の共通性になるほどと舌を巻くのであるが、しかし『こころ』のあらすじを語れと言われるとしどろもどろである。
それは『こころ』に限ったことではない。ごく最近読んだ小説、つい先日観た映画を除けば、まともにあらすじを語れる作品はひとつもない。それほどきれいに忘れてしまう。
だから、三宅香帆のような人を見ると「どうしてそんなに憶えているんだろ?」と思う一方で、「どうして自分は憶えていないんだろう?」という思いもあって、どちらかと言えば後者の思いのほうが強い。
いずれにしても、そういう理由で自分は大した書評家、評論家にはなれないなと思う。せいぜい三宅香帆の評論を読んで「なるほど!」と膝を打っているくらいがちょうど良いのかもしれない。
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