映画『笑いのカイブツ』
【1月6日 記】 映画『笑いのカイブツ』を観てきた。予告編を観て、「知らない監督だけど、面白いかも」と思ったから。「面白いか面白くないか、博打になるかも」という思いもあったけれど、とりあえず何の予備知識もなく見に行った。
これはツチヤタカユキというお笑い作家の、ある意味「狂気」を描いた映画である。
「おもろいかおもろくないか」が彼が生きて行く上での唯一無二の尺度であり、それ以外の「誰かが勝手に決めた常識」を何ひとつ受け入れない。おもろいネタが書けない作家に対しては、彼が何者であっても関係なく罵倒してしまう。それどころか、ろくに挨拶もできない。
自ら LINE のメッセージに書いているようにまさに「人間関係不得意」のひと言に尽きるのである。
だが、十代の半ばから「5秒に一度ボケる」ことを考えてネタを作り続け、ラジオでは伝説のハガキ職人となる。
しかし、一旦企業や番組のスタッフとして働き始めると、他のメンバーと協調して仕事を進めることが全くできず、多くの人たちに嫌われ、疎まれ、追い出される、と言うか、自ら出て行くしかなくなるのである。
僕はこういう人物には全く共感を覚えない。こういう人物にピュアとか不器用とかいう表現を使うのはとんでもない勘違いだと思う。パンフレットには「初めは嫌いでもだんだん好きになる」みたいな表現があったが、僕にはそういう実感もない。
ただ、最近の若い人の中には主人公に共感できない作品を全く評価できない人が少なくないようだが、僕は共感するだけが映画や小説ではないと思っていて、そういう意味では楽しめた。
僕はこういう人物には嫌悪感を抱いてしまうが、だからと言って「こんな奴は死んだらええ」などとは言わない。
どんな人間であっても、「その人が役に立つ道があるのであれば、その能力を最大限活かしてうまく使ってやりたい」というのが僕のスタンスである。自分が彼を好きか嫌いかというのは大きな要素ではない。
で、ツチヤタカユキを演じた岡山天音が、この破れかぶれの人物を好演していた。そして、彼の味方になってくれた数少ない人たちも良かった。
──ツチヤがポテトの小1個だけ買ってネタを書き続けていたハンバーガー・ショップの店員・ミカコ(松本穂香)、夜の繁華街で店から叩き出されたツチヤを拾ってくれた正体不明の男・ピンク(菅田将暉)、ツチヤに才能を感じてスタッフに加えてくれた人気漫才コンビ「ベーコンズ」の西寺(仲野太賀)、そして、おかん(片岡礼子)。
東京出身の岡山をはじめ、何人か関西以外の出身者もいたが、大阪弁にほとんど違和感がなかったのも良かった。
僕が驚いたのは、この映画はツチヤタカユキが書いた自伝的小説に基づいているということだ。この映画の中のネタも全部彼の手によるらしい。
こんなむちゃくちゃな奴が社会で生き残っているのか!と驚いた。今では多くのお笑いの仕事をこなしているというからさらに驚きだ。
しかし、パンフに載っていた鼎談を読む限り全く社会不適応な感じはないし、小説や映画にはかなりの誇張や創作があったのかもしれない。ま、そんなことはどうでも良いけど。
この映画で僕が一番共感したのは、自分と世の中に絶望してブチ切れるツチヤにピンクが半笑いしながら言った「地獄やのう。けど、その地獄で生きろや」という台詞。ツチヤを慰めるでも力づけるでもなく、ちょっと冷たく聞こえるけれど、とても正しいリアクションだと僕は思った。そう、それが僕のスタンスでもある。
脚本には監督の滝本憲吾のほか足立紳、山口智之と プロデューサーの成宏基の4人の名前がクレジットされている。撮影は鎌苅洋一だ。
良い映画だった。ただひとつだけ──これを観た若い人たちが「俺もこういう正直な生き方がしたい」なんて思わなければ良いなあと、ただそれだけを願っている。
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