『チーム・オルタナティブの冒険』宇野常寛(書評)
【1月22日 記】 僕は評論家・宇野常寛に結構共感する部分が多い。彼が小説を発表するのは多分これが初めてではないかなと思うのだが、しかし、これを発表するのは勇気が要っただろうなと思う。
何故ならこれを読んで「いろんな有名作家の作品をあれだけ酷評してるからどんな素晴らしい小説を書くのかと思ったら、なんだこんなクソみたいなものを書いたのか」と言われるのが目に見えているからだ。
いや、これを読んでそう言うというより、そう言うために、そんな風に言いたいがために、そう言うことを前提に読む奴が必ずいるだろうと思う。
しかし、僕が思うに、彼は決していろんな作家や作品(小説だけでなく映像作品も)をディスっているのではなく、作者を非難しているわけでも断罪しているわけでもなく、常にその背後にある時代性を批評しているのである。
しかし、そういうことを全く理解できずに感情的になって宇野につっかかってくる読者がいる。彼の著書の中にはそういう読者に対する苛立ちがときどきはっきりと顔を出している。
それを思うと、よくこの本を出したなあ、というよりは、彼は一体どんな心境でこの本を出したのかなと思う。
主人公の僕(森本)は地方都市に暮らす高校生だ。ちょっと斜に構えて、想像力が欠如したまま凡庸な人生を送っている大人たちを、そして、やがてそうなりそうな同級生たちをも軽蔑して、ごく少数の仲間たちとつるんでいた。
そんな彼を理解して何かと目をかけてくれていた葉山千夏子先生が突然死んでしまう。自殺だったとのことだ。そして、そのあとしばらくして、彼とはお互いに一目置き合ってつるんでいた同級生の藤川も失踪してしまう。
この小説の前半はそんな風に進行する。
途中から、とても面白い人たちなのだが、何となく怪しい、何者だかよく分からない3人組(先生とその「助手」とクラスメイトの女の子)が登場する。そしてそこから、話がどちらに行くのか読者には読みきれなくなるのだ。
つまり、これは森本の青春の日々を描いたアドレッセンス小説なのか、それとも、何しろストーリーは教師の謎の死から始まっているので、何か事件が起きるクライム・ノベル的なものなのか、あるいはもっとぶっとんだ SF、あるいはオカルト的なものなのか、はて、この先はどちらに転がるのだろう?と気をもみながら読み進めるのである。
僕はその曖昧さに好感を覚えながら読んだ。
ときどき「おいおい、その状況でそういう展開にはならんだろ?」と思うところも随所にあるのだが、主人公のいかにも高校生らしい、というか未成熟な、衝動的で独善的で、いかにも思慮の足りない感じはとてもよく描けていると思う。僕はときどき苛立ちながら読んだ。
青春があり、恋があり、よく分からない現象があり、謎がある。さあ、ここからどう展開するのか? 「実はこの3人にはこんな複雑で重苦しい事情があったのだ」というあくまでリアリスティックな展開なのか、それともまさか「この3人は実は宇宙人でした」なんてオチじゃないだろうな?と思ったら、最後の最後に、
(これは書いても良いのかな? これから読む人は、ひょっとしたら今すぐここで読むのをやめたほうが良いかもしれないが)
…まさに東映の実写ヒーローものになってしまうのだ! びっくりした。
確かに宇野はそういうコンテンツに対しても多くの批評を残しているし、この小説の中には彼が影響を受けたと今までに書いてきたいろんな作品が散りばめられている。あとがきには作者自身がこの小説はそういう諸作品に対する「返歌」であると書かれている。
しかし、ここまで行くとは思わなかった(笑) なーんだ、初めからそうならそうだと言っておいてよ、という感じ。
そこに至ってちょっとがっくり来たのも確かだが、しかし、小説の終わり方としては良い終わり方だったのではないかなとも思う。
もしもできることなら、評論家・宇野常寛にこの小説の評論を書かせたいなと思った。彼がこれをどう斬るのか? いつものように「小説『チーム・オルタナティブの冒険』と『◯◯』の問題」みたいなタイトルをつけるのであれば、その「◯◯」って一体何なんだろうか、と。
Comments