批評の時代から、考察の時代へ
【12月18日 記】 最近、三宅香帆の書いたものをよく読んでいて、それで僕のブログや note にもよく彼女の名前が出てくるのだが、さっき読んだ彼女の note (有料)は「批評の時代から、考察の時代へ」という内容だった。
どういう違いかと言うと、
考察 → 作者が提示する謎を解くこと
批評 → 作者も把握していない謎を解くこと
で、最近は考察的な文章のほうが人気があると言うのだ。
彼女は書いている:
なぜなら正解かどうかわからない解釈なんて、知っても面白くないからだ。製作者(※ママ)が忍ばせた、ひそかな真実を知ることが、考察の楽しみ方なのだろう。
そんな文章を悲しい気持ちで読み進んでいたら、しかし、最後に彼女は「それでいいんだろうか?」と切り返してきた:
それでも私は、思った。「批評家がやるべきことは、考察ではなく、批評の面白さを提示することだなあ」、と。
そう、そうなのだ。
僕も常々思ってきた。作者が意図していなかったことも含めて、どれだけのことを読み取れるかが読書や映画鑑賞などの醍醐味なのだ、と。
とてもすっきりした。この人の考え方、感じ方は僕と繋がっている。今後もここで彼女の書いたものについて触れる機会が減らないような気がする。
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