『アポロ18号の殺人』クリス・ハドフィールド(書評)
【11月17日 記】 この本をどこで知ったのだったか? 多分シミルボンで誰かが書いていた書評を読んだのだと記憶しているのだが、シミルボンが跡形もなく消えてしまった今となっては確かめようもない。
この小説の一番のミソは著者が本物の宇宙飛行士であったということである。
月面に着陸こそしていないが、3度も宇宙に出ている。アメリカのスペースシャトルで2度、ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーションに渡り、そこで半年ほど滞在している。
そういう著者であるからこそ書けること、そういう著者でなければ決して知り得ないし語り得ない情報がこの小説には満載である。
もちろんここで描かれている宇宙や科学技術に関する諸々はとてもじゃないが難しすぎて、一般人である我々、特に SF小説にもほとんど接してこなかった僕などにはほとんど理解できない。仮に著者が多少の嘘を交えて書いていてもそれを見破る術はない。
でも、それはそれで良いのである。
著者は間違いなく、本物の科学理論や史実に自分の夢や空想を織り交ぜながら物語を展開している。でも、重要なのはどこまでが事実でどこからが事実でないのかを確かめることではない。これだけ微に入り細を穿った描写を、これだけ深い分析と必然性を、これほどまでの大量の文章で描けるということこそがこの小説の真骨頂なのだ。
そう、この分量こそがリアリズムを呼び覚ましている。
僕らはアポロ11号の月面着陸の宇宙からの中継を、真夜中にそれこそ瞠目して目撃した世代である。著者もあの映像を見て宇宙飛行士を志したらしい。
しかし、アポロ計画はニクソン大統領によって中止され、アポロは 17号をもって終了したのだが、ここで描かれているのはアポロ18号が打ち上げられたという想定の物語である。そして、そこで描かれるのは宇宙開発を巡る米ソの熾烈な争いである。
ソ連の軍事偵察衛星や探査機を破壊しようとする米国、一方、月で見つけた資源をひとりじめしようとするソ連。それぞれの国益と利権を守るためであれば、国際法もモラルもお構いなしに、敵国の宇宙飛行士を殺そうとさえするとんでもない物語である。
しかし、あの時代の宇宙飛行士には現在のように民間から登用された学者などはおらず、恐らく米ソともその全員が空軍に属する兵士だったのである。敵を殺すのは彼らの仕事であったのだ。
この小説は技術一辺倒の物語ではなく、次から次へと見事にスリリングな展開を用意している。
僕は、これはアメリカ人が書いた小説だから、最後はきっと「正義のアメリカが悪いソ連をやっつけてめでたしめでたし!」という展開にするんだろうなと思いながら読み進んでいたのだが、この著者が偉かったのは決してそんな展開にしなかったことだ。恐らく、3度も宇宙に行き、そのうちの一度はロシアの宇宙船にも乗った著者の経験がそうはさせなかったのだろう。
ここに描かれているのは開発競争の不毛と国家エゴの虚しさである。と言うか、僕はそのように読んだ。そうでない読み方もできるのかもしれない。
上下巻に分かれた大著であるが、興味のある人はお読みになると良い。科学技術と宇宙の描写を読むだけでも非常に興味深いし、実は結構多様な読み方ができる本なのかもしれない。
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