記憶力
【10月2日 記】 最近テレビなどを観ていて思うのは、ミュージシャンにしても舞台俳優にしても、よくそれだけたくさんのものを憶えられるものだ、ということ。
ミュージシャンはライブをやるとなると 10曲も 20曲も歌うわけである。中には譜面台に歌詞を書いたものを置いている人もいるが、全く見ずに歌う人もいる。少なくとも最初から最後まで譜面台から目をそらさない人はいないとだろう。よくそれだけたくさんの歌詞が頭に入るものだと思う。
僕はフォークやニュー・ミュージックが台頭してきた時にその洗礼を受けて育った世代で、一時はシンガー・ソングライターになりたくて、曲もたくさん作った。だが、その中から 10曲選んで空で歌えと言われてもとても無理である。
人によってはそれだけではない。ギターを弾きながら歌ったりもしているのではないか。もちろんこれも、譜面台に楽譜を置いている人もいるが、何もなしで弾いている人もたくさんいる。
歌詞に加えてコード進行までよく憶えられるものだと思う。いや、コードをかき鳴らしているとは限らない。リフやフレーズを弾いていることもある。すごいと思う。
ま、それは「手が憶えている」という状態なのだろうということは、多少楽器をやってきた僕にも分かる。だが、僕の手はそんなに憶えていない。出だしは憶えていてしばらく快調に弾き続けたとしても、どっかで引っかかるともうダメである。何小節か戻って頭から弾き直さないと元のレールには乗れない気がする。
そういうことをさーっと造作もなく、いや、ひょっとするとものすごく練習したのかもしれないけれど、あんな風に歌い、あんな風に弾くのは、僕はとても真似できない。
僕の場合はシンガーやプレイヤー志望ではなくソングライター志望だったので、その道を極めようとはしなかったけれど、本気でシンガーになろうとしたらすぐに挫折していただろうと思う。
舞台俳優の台詞についても同じである。
僕は遅れて来た世代ではあるが、あの頃のアングラ演劇ブームにはやはりかなりハマって、いろいろな劇団を観に行き、役者という職業に憧れたこともある。ただ、こちらはすぐに諦めた。舞台上ではどんな人物にでもなりきって、普段は自分が絶対にやらないようなことをやるなんて到底僕にはできないと思ったから。
でも、僕にできないのはそれだけではない。歌詞と同様、台詞も僕には憶えられるとは思えない。映画やテレビなら細切れに撮って行くから良いのだが、舞台でやる芝居というものは通常1時間とか2時間とかやるものである。その中で喋る言葉を逐一憶えてその通りに話すなんてとても無理である。
それに加えて、ただ台詞を棒暗記していれば良いというものではないのだ。台詞の声の大きさ、抑揚、タイミング、いや、それだけではない、動きもある。上手から登場して舞台中央で止まり、誰それのほうを振り返って、呼びかけ、また下手まで歩きながら喋るとか、いや、それだけではない、表情もある。
よくそんなものを全部憶えられるものだと思う。先週見た映画の結末さえ思い出せない僕には考えられない(年を取ったからではない。若い頃からそうだったのだ)。
そんな当たり前のことを、最近テレビを観ていてよく思う。そして、「すごいな、この人たちは!」と思う。決して「人間の記憶力ってすごいな」などとは思わない。
だって人間だったら誰でもできる業じゃないでしょう? きっと全部憶えられなくて挫折する人がいるでしょう?
結局のところ、僕は概ね裏方志向で、シンガーや役者の道を目指すことはなかったのだけれど、今頃になって彼らのすごさに驚いたりしている。やっぱり僕には無理だったんだな、と。
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