映画『唄う六人の女』
【10月28日 記】 映画『唄う六人の女』を観てきた。
石橋義正監督作品では、僕は『ミロクローゼ』を観ており、それほど期待せずに見に行ったのにこれがめちゃくちゃ面白くて、僕はこれを 2012年の「私の掘り出しモノ賞」に選んだ。
パンフを読むと、『ミロクローゼ』に主演して、この映画でも2番目に名前がクレジットされている山田孝之が、石橋監督について「監督の執念」とか「役者にも容赦しない」などと語っていて、「あ、そういう人なのか!(『ミロクローゼ』のイメージとは違う)」と思った。
で、予告編を観ただけで、どんな映画かよく分からないまま見に行ったのだが、最初は「これはホラーなのか?」という感じだった。だが、最後まで見ると、サスペンスの要素は強いが必ずしもホラーではなく、むしろファンタジーという感じである。ファンタジーと呼ぶにはちょっとおどろおどろしいが(笑)
カメラマンの萱島(竹野内豊)の許に4歳の時に別れたきりになっていた父親・茂(大西信満)の訃報が届く。茂はとんでもない山奥の古民家でひとりで暮らしており、萱島はそんなところまで行くのは気が向かないが、いろいろ事後処理もあって行かないわけにもいかない。それで、マネージャーであり恋人でもあるかすみ(武田玲奈)を残してひとり出かけて行く。
茂が残してくれた土地に何の未練もない萱島は、前から話を持ちかけていた東京の開発会社の宇和島(山田孝之)に即刻土地を売り渡して東京に戻ろうとするが、宇和島の運転で駅に戻る途中、無表情で虫を食べていた女(水川あさみ)を危うく轢きそうになり、それに気を取られていたら山崩れで道路に巨岩が落ちているのに気づかず、激突する。
気がついたら萱島は手首を縛られた状態でどこかの古民家で寝かされており、さきほどの女が料理した虫入りの汁を持ってきて飲ませようとする。一方、宇和島も別の部屋で別の女に監禁されている。
ここには他にも女たちが4人いて、これがタイトルにある「6人の唄う女たち」なのだが、彼女たちは歌わないどころか、一切ものを言わない。
パンフを読むと、それぞれ刺す女(水川あさみ)、濡れる女(アオイヤマダ)、撒き散らす女(服部樹咲)、牙を剥く女(萩原みのり)、見つめる女(桃果)、包み込む女(武田玲奈、二役)と紹介されていて、この桃果がかなり可愛い。『美しい彼』に出ていたと言うが、こんな子いたかな?
で、彼女たちの何者なのか、次第に想像はつくようにはなるのだが、結局のところ明確には分からない、と思っていたら、エンドロールのキャストで(あるいはパンフレットを読めば)漸く完全な正体が明らかになるという塩梅だ。
石橋監督はどうやら以前から環境問題に強い関心を持っている人のようで、この映画もそういう色合いが強いが、しかし、この映画を環境破壊に対するメッセージだと捉えると途端に面白くなくなると思う。
僕はむしろ、この人知を超えた世界を描くための道具立てが環境問題だったのだと理解したい。
亡き父が何を求めて森に籠もっていたのかを突き止めようとする萱島が、人里離れた山奥の古民家で受ける理不尽で壮絶で理解不能な扱いがこんな風に映像になると、我々観客は宙吊りにされたまま、頭がクラクラするような体験をすることになる。
途中で席を立って帰った人が2人いたが、その気持ちも分からないではない。それほど不可解でヴィヴィッドで痛々しい映像体験なのだ。
『ミロクローゼ』に続いて、見事な映像芸術を見せてもらった。
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