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Monday, October 30, 2023

何だか分からなかったハロウィンの思い出

【10月30日 記】 毎年ハロウィンが近づくと必ず思い出すことがある。Photo_20231030214101

僕が勤めていた MBS は 2001年3月31日にオープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパンと提携していた。USJ の中に MBS のテレビスタジオがあったことを憶えている人もいるだろう。

そういうわけで僕らの局は彼らのグランド・オープンの PR に一役買っていたわけだが、その時に秋にはハロウィン・イベントをやると聞かされていたのである。

で、その時僕らはハロウィンとは一体何なのかちゃんと知らなかったのである。

僕らだけではない。日本人の多くがハロウィンという名前はもちろん聞いたことがあるし、なんかカボチャをくり抜いて作ったランタンの絵や写真も見たことはあっただろうけれど、それ以外のことはあまり知らなかったのである。もちろん Trick or treat というフレーズも。

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Saturday, October 28, 2023

映画『唄う六人の女』

【10月28日 記】 映画『唄う六人の女』を観てきた。

石橋義正監督作品では、僕は『ミロクローゼ』を観ており、それほど期待せずに見に行ったのにこれがめちゃくちゃ面白くて、僕はこれを 2012年の「私の掘り出しモノ賞」に選んだ。

パンフを読むと、『ミロクローゼ』に主演して、この映画でも2番目に名前がクレジットされている山田孝之が、石橋監督について「監督の執念」とか「役者にも容赦しない」などと語っていて、「あ、そういう人なのか!(『ミロクローゼ』のイメージとは違う)」と思った。

で、予告編を観ただけで、どんな映画かよく分からないまま見に行ったのだが、最初は「これはホラーなのか?」という感じだった。だが、最後まで見ると、サスペンスの要素は強いが必ずしもホラーではなく、むしろファンタジーという感じである。ファンタジーと呼ぶにはちょっとおどろおどろしいが(笑)

カメラマンの萱島(竹野内豊)の許に4歳の時に別れたきりになっていた父親・茂(大西信満)の訃報が届く。茂はとんでもない山奥の古民家でひとりで暮らしており、萱島はそんなところまで行くのは気が向かないが、いろいろ事後処理もあって行かないわけにもいかない。それで、マネージャーであり恋人でもあるかすみ(武田玲奈)を残してひとり出かけて行く。

茂が残してくれた土地に何の未練もない萱島は、前から話を持ちかけていた東京の開発会社の宇和島(山田孝之)に即刻土地を売り渡して東京に戻ろうとするが、宇和島の運転で駅に戻る途中、無表情で虫を食べていた女(水川あさみ)を危うく轢きそうになり、それに気を取られていたら山崩れで道路に巨岩が落ちているのに気づかず、激突する。

気がついたら萱島は手首を縛られた状態でどこかの古民家で寝かされており、さきほどの女が料理した虫入りの汁を持ってきて飲ませようとする。一方、宇和島も別の部屋で別の女に監禁されている。

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Friday, October 27, 2023

【note】ドラフト会議に思う

【10月27日 貼】 note に投稿した記事を貼ります。

このブログには時々 note に重複掲載された記事があります。

先に note に書いた場合は今回のような形になります。先にブログに掲載した場合は他の記事と体裁は変わらず、note のほうの記事の URL は記載されていない、と言うか、note の記事の存在はここでは全く分からない形になっています。

 

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Wednesday, October 25, 2023

観ない映画

【10月25日 記】  どの映画を観るかを、僕は予告編を見て判断していることが多いみたいです。

世の中には主にネット上の記事などを参考にして決めている人も多いと思いますが、もしも毎月数回映画館に行く人であれば、それなりの数の予告編を目にすることになるので、その分だけ予告編で判断する機会も多くなるのだと思います。

そして、気がついたのですが、僕は予告編を見て何を観るかを決めているだけではなく、何を観ないかも同時に決めているみたいです。

これもまあ当たり前といえば当たり前ですね。

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Sunday, October 22, 2023

映画『アナログ』

【10月22日 記】  映画『アナログ』を観てきた。

僕が初めて観たタカハタ秀太監督の前作『鳩の撃退法』はとても良かったと思うのだが、残念ながら世間の評価はそれほど高くはなかった。でも、この映画を観て「ほら見ろ、やっぱり素晴らしい監督じゃないか!」と勝ち誇ったような気分になった。それほど良くできた、気持ちの良い映画だった。

原作はビートたけしの小説。

建築デザイナーの悟(二宮和也)は、自分がインテリアを手掛けた喫茶店「ピアノ」でみゆき(波瑠)という女性に会う。彼が手掛けた細部のデザインを彼女が褒めてくれたこともあって、悟は自分との感性の近さを感じて一気に彼女に惹かれて行く。

一方でみゆきのほうはあまり自分のことを語らない、ある意味謎の女性のままである。何より彼女が携帯を持っていないので連絡の取りようがなく、双方の都合がついた木曜の夜だけ「ピアノ」で会えるという関係が続く…。

僕が最初に役者・二宮和也を「こいつ、いいな」と思ったのは、2008年の TBS金ドラ『流星の絆』だった。すでにデビューして 10年以上が過ぎていたとは言え、割合早くから目をつけ、評価していたと言っても良いのではないだろうか。

波瑠については 2014年の映画『がじまる食堂の恋』で見初めた。出世作となった NHK の朝ドラ『あさが来た』がその翌年なので、こちらも割合早くからのファンと言える。

その2人がとても良い。

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Saturday, October 21, 2023

迷惑メール・フォルダを眺めながら

【10月21日 記】  メールというものを使い始めて約30年。その間にメールのシステムはいろいろ進化したが、そんな中で特にありがたいと思うのは迷惑メール・フォルダである。

今は多くのメール・クライアントで迷惑メールと看做されたメールが自動的に迷惑メール・フォルダに分類収納される。この勝手に切り分けてくれるという機能がユーザをストレスから解放してくれる。

と言っても、メールを使い始めた時にすでに迷惑メール・フォルダがあったという世代には実感はないだろう。

それ以前は全てのメールがごっちゃに受信箱に入ってきて、それをひとつひとつ自分の目で確かめて分類あるいは削除していた。

何がストレスかって、また迷惑メールが来たということがまずストレスだったのだ。

もちろん今も単に迷惑メール・フォルダに入っているというだけで、迷惑メールを受け取っているという点では同じなのだが、最初に「これは読まなくていいやつ」と言ってくれているだけで随分とストレスがないのだ。

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Thursday, October 19, 2023

関白とスニーカーの頃

【10月19日 記】  先日、カラオケに行った時に友人が『関白宣言』(さだまさし作詞作曲、1979年)を歌ったのですが、それを聞いていた別の友人が、「こんなの、いまだったら完全に差別で歌えないわよねえ」と言いました。

確かにそうでなんですよね。ただ、さだまさしの巧妙なところ(と言うか、僕としては「悪質なところ」と言いたいのですが)は、歌詞の中でこれから妻になる女性にまさに関白的、男尊女卑の権化のような要求を山ほど積み重ねておいて、最後に「できる範囲で構わないから」と添えて締めているところです。

確かにこの最後の一行にうっとりした婦女子のファンも多かったのではないでしょうか。

「だから、できる範囲で構わないって言ってるじゃないですか。僕はそういう優しい男なのであって、決して女の子に何かを強制したりはしていません」みたいな嫌らしい口説き方だと、当時僕は思いました。

この歌は発売当時でも少しは物議を醸したりもしましたが、でも大問題にはならず、歌は大ヒットしました。

あの時代、こういう女性像を抱くことは好ましくないという考え方は既にありましたが、基本的に何を考えるのも自由であって(考えるだけであれば、それは今でもそうです)、でも、実はそういう女性観を公共の場で公衆にアピールすることの功罪については誰も考えませんでした。あの時代はそういう時代だったのです。

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Tuesday, October 17, 2023

映画『春画先生』

【10月17日 記】  映画『春画先生』を観てきた。塩田明彦監督。

塩田作品で強烈に印象に残っているのは何と言っても『月光の囁き』(1999年)だった。その後『ギプス』、『害虫』と続いたのだが、その次が『黄泉がえり』や『カナリア』などで、僕はメジャーになったと言うよりはなんかフツーの監督になってしまったなあと思っていた。

しかし、2019年の『さよならくちびる』はそれらの延長線上ではあったが、とても良い映画になったと喜んでいたら、今回この映画でようやく『月光の囁き』の、と言うか、塩田明彦の本領が戻ってきた気がする。

圧倒された。感服した。素晴らしい映画だった。

北香那は少女時代から長い芸歴を誇る女優のようだが、僕が認識したのは今年7月期のドラマ『18/40』だった。とても良い印象を持った。

その北香那が春画の研究者・芳賀一郎(内野聖陽)に魅入られる弓子を演じた。勤めている喫茶店の席で春画を広げている芳賀に声をかけられたのだ。

芳賀は近所でも有名で春画先生と言われている。同僚たちは誰も弓子が彼を相手にするとは思ってもいなかったが、彼女は彼に言われるままに翌日彼の家を訪ね、春画を見せられ、そしてその奥深さにはまって行く。弓子は初めて見せられた春画の、女性の足の裏が反っていることに気づくのである。

そして、弓子は次第に芳賀にも魅かれて行き、芳賀も間違いなく弓子に好意を抱いているようで、亡妻のドレスを着させたりしてあちこちに連れ回すようになるが、男女の関係にはならない。

そこにある日、出版社の担当・辻本(柄本佑)が訪ねてきて、彼が知っている芳賀の過去を弓子に聞かせる。その夜、弓子は酔った勢いで辻本と寝てしまうが、それは辻本にとっていつものお決まりのコースだった。

とまあ、そんなところから物語は始まるのだが、この文章では映画の雰囲気を多分全然伝えられていないと思う。ここにあるのはある種の文化としての春画礼賛であり、そして、先生や弓子や辻本を通じて性というものの本質を描いた映画である。

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Monday, October 16, 2023

URC名盤復刻

【10月16日 記】  URCレコードが次々と復刻リマスター発売されていると知って CD を3枚買った。

それにしても SONY があの URC の販売権を買い取ったのか!と驚いたのだが、調べてみたら SONY が独占しているわけではなく、PONY CANYON からも出ているではないか。それ以外の会社からも出ているのかもしれない。

しかし、僕が見つけたのは SONY MUSIC関連のページであったため、てっきり SONY MUSIC が独占販売権を手に入れたのだと思い込んでいて、だから、買った3枚は全て SONY MUSIC が発売したものだ。

URCレコードの説明をしていると長くなるので書かない。ただ URC がアングラ・レコード・クラブの略であることだけは書いておこう。興味のある人は調べてみてほしい。

1枚目は斉藤哲夫の『君は英雄なんかじゃない』。

ジャケットに大きく「6/8」と書かれたアルバムだ。僕はレコード店で何度か手に取りながら結局は買わなかったアルバム。

しかし、斉藤哲夫は、基本線はこの頃からちっとも変わっていない。後の『バイバイグッドバイサラバイ』や『グッド・タイム・ミュージック』に見られるようなポップ性はまだ見つからないが、曲作りの感じには共通性がある。

共通性はあるが、しかし、このデビュー・アルバムは後の作品に比べて遥かにおどろおどろしい。『悩み多き者よ』や『斧をもて石を打つが如く』や『とんでもない世の中だ』など。久しぶりに聴き入ってしまった。

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Sunday, October 15, 2023

映画『キリエのうた』

【10月15日 記】  映画『キリエのうた』を観てきた。

僕は監督で映画を選ぶことがほとんどだが、今回は岩井俊二監督ではなく完全にアイナ・ジ・エンドが目当て。そんなにたくさん音源は持っていないが、でも、めちゃくちゃ好きなのである。

何と言ってもあの声。初めて聴いた時から虜になってしまった。声の力だけで目頭を熱くさせられるのは世界中で彼女だけなのではないかと思っている。

強烈な高音の響き。切実さが伝わってくる。切なさもある。諦めもある。自棄もあるが、果てしないエネルギーを感じさせてくれる。

また、小林武史が音楽を担当した岩井俊二作品となると、当然『スワロウテイル』を思い出すではないか。そういう意味でも期待が膨らんだ。

まず、音楽という面では、冒頭のオフコースの『さよなら』や久保田早紀の『異邦人』のような他の歌手のスタンダード(井上陽水&忌野清志郎の『帰れない二人』を歌っていたのは安藤裕子だったのか?)からアイナ自身の作品まで、路上ライブからオーバーラップの BGM へと、何曲も何曲も浴びるように聴かせてもらえてこれ以上の幸せはない。

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Saturday, October 14, 2023

『ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか』刊行記念トークショー

【10月14日 記】  清澄白河の Books & Café ドレッドノートで『ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか』刊行記念トークショーを聴いてきた。

ベンジャミン・カーター・ヘットによるこの本の翻訳者が、僕の勤めていた放送局の同期入社で、今は翻訳家になっている寺西のぶ子さんだという繋がりである。彼女の翻訳を読むのは大ヒットした『英国一家、日本を食べる』以来2冊目である。

登壇したのは彼女の他に、この本の監修を務めた神戸大学大学院の衣笠太朗氏と出版社である亜紀書房の担当者・西山大悟氏である。

のぶ子さんに「どうしてこの店を選んだの?」と訊いたら、この店のほうからオファーがあったとのことで、どうやらこの店ではこういうイベントをよくやっているようだ。

その際の司会はいつも店主(名前は憶えていない)が務めるようなのだが、このおっさんが、どうも最初は戦車マニアみたいなところから始まって、次第に戦争に、そして歴史全体にと興味を広げていった人のようだ(「ドレッドノート」という本屋らしくない店名と置いてある蔵書のラインナップがそれを物語っている)。

これが却々押しの強い、思い込みも激しそうな、めちゃくちゃねちっこいおっさんで、最初はそれが少し気に障ってどうなることかと気を揉んだが、進むに連れて皆少しなごんできた。

この著者によるこのシリーズは『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか』(これも寺西のぶ子・訳)に続く2冊目で、3冊目は鋭意執筆中とのこと。

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Tuesday, October 10, 2023

『2020年代の想像力』宇野常寛(書評)

【10月10日 記】 note でフォローしている評論家ではあるが、月額固定の有料マガジンは購入する余裕がなかったので、本になったのは嬉しかった。

しかし、それにしても、よくまあここまでいろんなことを考え、いろんなことを思うものだなあと思う。「なんちゅうか、そんなに難しくこねくり回さなくても、もっと気楽にコンテンツを楽しめば良いのに」などと思う人もいるだろう。

でも、宇野常寛は別に「この作品はひどいから読むな」とか、「こんなダメな作家はやめてしまえ」などと言っているわけではない(例えばこれだけ鋭く村上春樹を批判しておきながら、宇野が村上春樹の熱心なファンだということは行間に溢れている)。

それはあくまで「こんな風に読めるよ」という解釈の提示なのであって、舌鋒鋭いので作家を攻撃しているように見えるが、実は作品を通じて社会を分析し、社会を批判しているに過ぎないと僕は受け止めている。

しかし、そんな風に受け止められずに、直情径行にクソリプを浴びせ倒す読者も少なくないんだろうなと思う。この本の中にも、宇野がそういう反応に辟易して、あるいは怒り心頭に発して書いたと思われる表現が溢れている。

ある視点から考えたダメな作品が別の視点から考えるとよい作品だと考えられる、程度の思考に耐えられない人は社会や文化について、特に過激な言葉を用いて否定的なことを述べる前に少し「ものを考える」ということそのものについて学んで欲しいと思う。

これから僕が記していくのは、作品から得たものから展開する思考の開陳、つまり批評であり、作品の良し悪しに対する評価ではない。(それにしても度々このような断り書きをしないといけないのは、不幸な社会だと思う。)

「仮面ライダーに政治を持ち込むな」とか「反日ゆ゛る゛ざん゛」とか言っている人はまあ、そっとしておくとして(一応言っておくが、君たちはものを考える上での最低限のリテラシーが足りていないだけだ)、

これはこの作品がいい、悪いという判断とは別に(僕は最初からそういう話はしていないのだが)十分に頭を抱えていい問題だと思う。

今日においてエンターテインメントの批評とは、SNS上の共感獲得ゲームと化している。おそらく、こうした声を時間と場所を間違えて(いや、正しく?)投稿すると、たちまち誹謗中傷が押し寄せるだろう。

これらは全て、宇野がこの本で書いている論旨の本筋からは少し外れているのだが、これらを読むだけで彼がどういうスタンスに立っているかが判るだろう。そして、今の日本の世の中がどれだけ自由にものを言いづらい環境なのかということも。

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Monday, October 09, 2023

映画『白鍵と黒鍵の間に』

【10月9日 記】  映画『白鍵と黒鍵の間に』を観てきた。それほど本数を観ているわけではないが、冨永昌敬は好きな監督だ。

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白鍵と黒鍵と言われてすぐに思い出すのは 1982年に Paul McCartney と Stevie Wonder のデュエットで大ヒットした Ebony and Ivory である。

Ebony and ivory live together in perfect harmony
Side by side on my piano keyboard, oh Lord, why don’t we?
(“Ebony and Ivory” by Paul McCartney)

という歌詞から判るように、これはピアノの黒鍵(漆黒)と白鍵(象牙色)を黒人と白人に見立てて、黒人と白人の融和を歌ったプロテスト・ソングである。

もちろんこの映画はこの歌とは何も関係がないのだが、僕がこの歌を思い出したのは、この映画で池松壮亮が2役を演じた2人の主人公は決して live together in perfect harmony とは言えないなと思ったからだ。

ここには南と博という2人の人物が登場する。しかし、いずれも池松壮亮が演じており、ともにピアニストであり、かつ一方は苗字であり他方は名前なので、観客は頭の中で容易にこの2人を合一することができるはずだ。しかも、この映画の原作となっているのは南博というジャズ・ピアニストが書いた自伝的な著書である。

一見して3年前の、まだ駆け出しのころのジャズ・ピアニストが博、3年後の少し自信がつく一方で今の自分に飽き足りずアメリカ留学を考えているのが南なのかなと思うのだが、しかし、この映画は現在の南博と3年前の南博の回想シーンを交互に描いたものではなく、同じ時間軸に(鉢合わせこそしないものの)この2人が別々に存在するのである。

と言うか、若干の回想シーンはあるものの、ここで描かれるのは昭和63年の年の瀬の、ほとんど一夜の物語である。だから、2人の人物はどこかで合一するどころか、完全に分裂したままなのである。

白鍵と黒鍵は調和しない、どころか、白鍵と黒鍵の繋がり自体が見えてこないのである。白鍵と黒鍵の間には果たして何があるのか?マジで悩ましく考えてしまうのである。

この設定は見始めてすぐには見切れないのだが、こういう構造はすこぶる面白い。

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Saturday, October 07, 2023

映画『アンダーカレント』

【10月7日 記】  映画『アンダーカレント』を観てきた。今泉力哉監督。豊田徹也による原作漫画はかなり評判の高い作品だったのだそうだ。

(今回は少しだけラストシーンに触れているので、これからご覧になる方は最後までお読みにならないほうが良いかと思います)

冒頭にかなえ(真木よう子)が水に沈んで行く意味深長なシーンがある。これは舞台となっている銭湯の水ではない。この謎めいたシーンがこの映画の文字通りのアンダーカレントになっている。

かなえは家業を継いで銭湯「月の湯」を切り盛りしている。共同経営者であり夫であった悟(永山瑛太)が突然失踪してしまい、しばらく休んでいたが、常連客の要請もあって久しぶりに営業を再開するところから映画は始まる。

そこへ、月の湯で働かせてほしいという堀(井浦新)が現れる。組合の紹介で来たと言い、ボイラー技士の他多くの資格を持っているので何もこんなところで働く必要はないのに、とかなえは思う。

しかし、堀はできれば今日から住み込みで働かせてほしいと言い、仕方なくかなえは雇うことにする。彼は優しくて奥ゆかしい感じではあったが、その一方で自分のことは全く語らず、何を考えているのか分からない謎の男だった。

一方、大学時代の友人であった菅野(江口のりこ)とばったり会ったかなえは、彼女の紹介で探偵・山崎(リリー・フランキー)を雇って悟の行方を探すことになる。しかし、山崎は如何にも胡散臭い男で、初対面の日から不躾な感じだし、その後の報告場所もカラオケ屋であったり遊園地であったりと、怪しさてんこ盛りである。

…とまあ、前半はそんな進行である。

僕はこの映画を見て、これは今泉力哉の新境地だと思った。この映画の底にはなんだか分からない怖さが静かに流れているような気がした。今までに多くの今泉作品を観てきたが、怖いと感じたのはこれが初めてだ。

そして、その怖さが少しずつほぐれてくると、そこには一気に哀しさが溢れ出す。でも、どこか優しい。

──その辺りが今泉力哉と共同脚本の澤井香織の真骨頂なんだろう。

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Tuesday, October 03, 2023

美しい十代?

【10月3日 記】  先日一緒にカラオケに行った友人がやたらと古い歌を好む男で、古すぎて僕もおぼろげにしか憶えていない(のでもちろん歌えない)三田明の『美しい十代』を歌った。

そのサビの部分がいつまでも頭の中で鳴っていて出て行かないのだが、そんな脳内ループの中で、果たして自分が一番美しかったのはいつだったのだろう?という疑問に突き当たった。

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Monday, October 02, 2023

記憶力

【10月2日 記】  最近テレビなどを観ていて思うのは、ミュージシャンにしても舞台俳優にしても、よくそれだけたくさんのものを憶えられるものだ、ということ。

ミュージシャンはライブをやるとなると 10曲も 20曲も歌うわけである。中には譜面台に歌詞を書いたものを置いている人もいるが、全く見ずに歌う人もいる。少なくとも最初から最後まで譜面台から目をそらさない人はいないとだろう。よくそれだけたくさんの歌詞が頭に入るものだと思う。

僕はフォークやニュー・ミュージックが台頭してきた時にその洗礼を受けて育った世代で、一時はシンガー・ソングライターになりたくて、曲もたくさん作った。だが、その中から 10曲選んで空で歌えと言われてもとても無理である。

人によってはそれだけではない。ギターを弾きながら歌ったりもしているのではないか。もちろんこれも、譜面台に楽譜を置いている人もいるが、何もなしで弾いている人もたくさんいる。

歌詞に加えてコード進行までよく憶えられるものだと思う。いや、コードをかき鳴らしているとは限らない。リフやフレーズを弾いていることもある。すごいと思う。

ま、それは「手が憶えている」という状態なのだろうということは、多少楽器をやってきた僕にも分かる。だが、僕の手はそんなに憶えていない。出だしは憶えていてしばらく快調に弾き続けたとしても、どっかで引っかかるともうダメである。何小節か戻って頭から弾き直さないと元のレールには乗れない気がする。

そういうことをさーっと造作もなく、いや、ひょっとするとものすごく練習したのかもしれないけれど、あんな風に歌い、あんな風に弾くのは、僕はとても真似できない。

僕の場合はシンガーやプレイヤー志望ではなくソングライター志望だったので、その道を極めようとはしなかったけれど、本気でシンガーになろうとしたらすぐに挫折していただろうと思う。

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