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Saturday, September 30, 2023

人物が描けない作家

【9月30日 記】  後には大作家と呼ばれる人でもデビュー時には結構酷評されていたりするものだ。

例えば、もうあまりはっきりした記憶はないのだが、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞の受賞が決まった際には、確か怒って選考委員を辞めた人がいたのではなかったか。

もっともっと前の石原慎太郎のときも確か同じような物議を醸したはずだ。

今日は緒真坂さんという人の講演を聴きに行ったのだが、その中で、後の大作家が直木賞を受賞した際、あるいは受賞を逃した際の審査員の講評をいくつか紹介していて面白かった。

結構多くの作家が先輩の作家である選考委員にボロカスに言われているのである。

例えば源氏鶏太あたりが「大変面白かったが、直木賞の品格には値しない」みたいなことを言っているのは、直木賞というものを何だかものすごく身勝手に解釈しているような感じがあって見苦しい気もするのだが、でも、いろんな選考委員の酷評ぶりを聞くと、まあ、何が言いたいのか分からんでもないという面もある。

僕は常々、大ベストセラー作家であっても、読んでみて「この人は人物が描けていないな」と思うと二度と読む気にならない。そういうことを僕はこれまでにもあちこちに何度も書いてきた。例えば、半月ほど前にもここに『二流の小説家と一流の脚本家の組合せ』というタイトルの文章を書いたばかりである。

人物が描けていないと言うのは、その人物の性格や思考パタンがしっかり措定できていないために、何か行動するたびにバラバラであり一貫性がない、というのがひとつの典型であり、もうひとつの典型は逆に、人物の描き方があまりに類型的で、人間はそんなに単純じゃないだろう!?と言いたくなるような描き方である。

で、今日聞いた中で、あるミステリ系の、今では大家と言って良い作家が直木賞を獲ったときの、選考委員・渡辺淳一の講評がとても印象に残った。

その作家の受賞作に対して渡辺淳一は「しかし、私は不満である」と書いている。それに続く文章はうろ覚えだが、要するにその作家は人物がまるで描けていないと言っているのである。

僕は、「ああ、やっぱり僕だけじゃなかったんだ」と、なんか溜飲が下がった思いをしたのである。どう見てもその作家は読者の目を欺くストーリーを紡ぐことに汲々としており、そもそも人間を描こうなんて気はないように見えるのである。

そんな作家の小説がどうしてベストセラーになったりするのか不思議だ、と言うか、残念である。

「今はこういうのが受けるんだよ。それが時代の趨勢なんだ」などと言う人もいるかもしれない。しかし、時代というものに意志はない。それはただ、その時代を生きる人間が勝手に解釈しているだけのことなのである。

やっぱり、しっかり人間を描いてほしいな、と僕は改めて思った次第である。

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