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Tuesday, September 12, 2023

『夜果つるところ』恩田陸(書評)

【9月12日 記】 恩田陸の『鈍色幻視行』を読んだ人なら、そして恩田陸の 『鈍色幻視行』に魅了された人なら、その小説の中に出てくる飯合梓という作家の『夜果つるところ』を読んでみたくなったはずだ。

僕もこの、完成前に死者が出て三たび映像化が頓挫した“呪われた”小説が読めるもんなら読みたいものだと思ったが、まさか恩田陸が本当に書いていたとは思いもよらなかった。

冒頭は(当たり前だが)『鈍色幻視行』に引用されているのと同じ文章である。あれだけだと時代背景も場所もよく分からなかったのだが、昭和初期の、東京にほど近いどこかの山中の、遊郭めいた館だと判る。

遊郭めいたと書いたのは、必ずしも男が女を抱きにだけくるところではなく、レストランがあり、ラウンジがあり、茶室があり、中庭があり、カーキ色の軍服に身を包んだ軍人たちが議論をしたり、謀議を凝らしたり、あるいは舞を舞ったりする者もいる不思議な場所である。

で、読んでいると恩田陸はそれほど飯合梓に仮装しようとはしていなくて、これは今まで何度か読んだことのある恩田陸のパタンのひとつであるような気がする。

主人公のビイちゃんは11~12歳ぐらいの少女。彼女が暮らしている墜月荘には彼女の産みの母・和江と育ての母・莢子、そして名義上の母・文子の「3人の母」が暮らしていた。

和江はフィラメントの切れた電球のようにぼおっとして、部屋に籠もって鳥の入っていない鳥かごを日がな一日見つめており、時折鳥のような奇声を上げた。明らかに精神に異常を来している感じである。

莢子はある日突然ビイちゃんの前に家庭教師として現れ、彼女に優しく接していろいろなことを教えてくれた。文子は帳場を仕切っていて、いつもじっと彼女を観察している「監督者」のようで、彼女は文子を苦手としていた。

他にも非常に個性的な脇役が大勢配してある。そこに「交流部」に通う「カーキ色」の男たちが加わる。ある日ビイちゃんは笹野、子爵、久我原の3人が謡い、舞っている姿を目撃する。特に彼女が惹かれたのは扇を構えて舞う久我原だった。

そんな不思議な墜月荘での暮らしが、主人公の少女の回想という形で語られていくのだが、その中で彼女はこんなことを言っている:

後か先かだなんて、ほんとうに分かるのだろうか。そもそも、順番というのはほんとうに順番通りなのだろうか。
(中略)ボンヤリ口を開けていれば、嫌でも新しい出来事は向こうから飛びこんでくる。
(中略)ひとびとの過去は、書き換えられた無数の記憶で成り立っているのだから、私を含めすべてのひとびとの出来事を時系列順に並べることなどナンセンスだ。

こういう記述が、そして、そういう感覚に基づいた進行が、この分かりにくいストーリーを余計に分かりにくくしている。

で、なんと言うか、うーん、不思議な感じのする話であり、館の中で何人かの登場人物が死ぬシーンも出てきたりするのではあるが、しかし、だからといってそれがどうした?という感じのストーリーでもあるのだ。この作品を果たして多くの映画監督や映像作家がそれほどまでに映像化しようと思うだろうか?という疑問も湧く。

そして、ちょうどそんな疑問が湧いて来た辺りで、そこまで伏せられてきた秘密が描かれる。これはちょっと予想外で驚いた。

そこから最後まで読み終えると、決してくっきりとした起承転結のある話ではないのだが、うん、なんかこの物語の伏流水みたいなものを映像化したいと思う芸術家が出てくるのも不思議でない気がしてくる。

この辺りの仕掛けと仕組みが恩田陸の力量なのだと思う。

そういう構造の本だから、こちらを先に読んではいけない。まずは『鈍色幻視行』を読んでからこちらを読むこと。

すると必ず、どうしてみんなこの飯合梓の小説に取り憑かれたように集まってくるのかが少し分かったような気になり、そして必ずやもう一度『鈍色幻視行』を読み返したくなるはずだ。

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