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Monday, September 11, 2023

二流の小説家と一流の脚本家の組合せ

【9月11日 記】  実名を書いてファンに襲われるのも嫌だから書かないが、ミステリ系の作家の中には、奇想天外な設定やストーリーを考えて読者の目を欺くことに汲々として、肝心の人物がさっぱり描けていない人が時々いる(そんな作品がどうしてベストセラーになったりするのか不思議で仕方がないが)。

しかし、そういう作品を腕の立つ脚本家が脚色すると、びっくりするくらい素晴らしいドラマになることがよくある。原作では描けていなかった人物に、しっかりとした骨組みができ、その骨組みに対応した肉付けができているのである。

原作が書けていないほうが脚本家の自由度が上がり、手腕を発揮しやすいからなのかなと思う。

こっちのほうは褒めているわけだから、その腕の立つ脚本家の実名を書いても良いかなと思ったのだが、しかし、その脚本家の作品履歴を見ると、「ああ、この作家のことを言っていたのか」と気づいてしまう人もいるだろうから、とりあえず書かないでおく。

いずれにしても、凡百の作品が素晴らしいドラマに甦るわけだから、僕はこういう組合せは大歓迎である(笑)

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