『惑う星』リチャード・パワーズ(書評)
【8月30日 記】 心が倦んでくると重厚長大な小説が読みたくなる。そんなときに僕が選ぶのが例えばリチャード・パワーズだ。
憶えている人はいないと思うが、上の文章は僕がドン・デリーロの『ホワイトノイズ』の書評を書いたときと全く同じ出だしだ(作家名だけが変わっている)。というのも、実は前回“心が倦んできて重厚長大な小説が読みたくなったとき”に、この2冊をほぼ同時に買ったのである。
しかし、さすがにその2冊を連続で読むほどの気概はなく、間に何冊か別の本を挟んだために約2ヶ月のインターバルができてしまった。
さて、この本もこれまでのパワーズの作品群同様に頭がクラクラしてくるような小説である。いつも通り難解な科学的知識が小説の中に編み込まれていて、やっぱり「べらぼうな」という形容を持ってきたくなる。
ただ、べらぼうな小説であるには違いないのだが、訳者の木原善彦もあとがきに書いているように、
技巧をこらした前作(『オーバーストーリー』)とは対照的に極めてシンプルに書かれた
作品である。何しろ登場人物が少ないので、まずそこのところで読んでいて混乱することがない。
宇宙生物学者のシーオは、妻がなくなった後ひとりで息子ロビンを育てている。ロビンは今9歳だが、学校で同級生たちとうまくやっていけない。同級生に怪我をさせたのをきっかけに、校長から医者に見せろ、薬を飲ませろと迫られる。
一方シーオ自身は政府の予算削減によって、これまで続けてきた研究ができなくなる危機に瀕している。
シーオの亡き妻アリッサは弁護士で野生動物の保護運動をしていた。ロビンは彼女の何かを遺伝的に引き継いだのか動物の保護に目覚め、自らヴィーガンとなり、やがて彼にできるやり方で野生動物の保護を大人たちにアピールするようになるが、それは彼の予想に反して時として自分の父親の立場を危うくしてしまう。
ロビンをどうして良いか分からなくなってしまったシーオは、9歳の息子に向精神薬を飲ませるのを避けるためもあって、妻の元彼が研究していた実験的なフィードバック治療法をロビンに受けさせることにする。
それは記録に残されたアリッサの脳データに基づいてロビンにある種の訓練を受けさせるというものだ。それのおかげでロビンはだんだん自分の感情を抑制することができるようになるが、一方でだんだん昔のアリッサに似てきて、まだ幼かったロビンが知るはずもないアリッサの記憶めいたことを喋ったりもする。
このあたりは、作中でも触れられているが『アルジャーノンに花束を』を想起させるようなところがある。
で、このロビンの治療法はこの作家がでっちあげた架空の療法ではなく、開発されてまだ日が浅いが、実際に存在する技術であるというところが、如何にもパワーズらしくてすごいのである。
この作家はとにかくそういう難解なあれやこれや(時にそれはさまざまな科学の分野であったり哲学の分野であったりする)をしっかりと読み込んでから、現実社会に根を張った作品を書いているのである。
読み始めてしばらく「何だ、これは?」と頭を悩ませてしまうのは、途中で何度も挿入される、父と子が架空の太陽系外惑星を訪れて、そこに生息する生命を観察するシーンである。これは恐らく、父が自分の専門知識を SF風にアレンジしながら息子に聞かせたストーリーなのだろうけれど、しかし、そういう解説は一切なく、現実に2人がそこに降り立ったように書いてある。
しかし、この何箇所もある不思議な挿入が、時には希望に満ち、時にはそこはかとなく物悲しくて、むしろ物語全体をコントロールしているような雰囲気さえある。
やはりパワーズはパワーズである。
今回はわりと静寂に満ちた作品であるとは言え、そして、やたらと登場人物が入れ替わり立ち代わり出てきて、しかもそれが却々繋がらなかった前作などと比べれば遥かに単純であるとは言え、やっぱりパワーズはこの複雑さと難解さ、そして深遠さを楽しむ作家だと思う。
この人の頭の中、一体どうなってるんでしょうね?(笑)
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