『ホワイトノイズ』ドン・デリーロ(書評)
【6月24日 記】 心が倦んでくると重厚長大な小説が読みたくなる。そんなときに僕が選ぶのが例えばドン・デリーロだ。
僕が最初に読んだのは彼がその名を一躍世界に知られるようになった『アンダーワールド』だった。上下巻ともに 600ページを超える大著であるだけでなく、その難解で、しかし、深いところで訴えてくる何かに頭がクラクラした。
その後遡って『マオII』を読み、『アンダーワールド』後の長編『ボディ・アーティスト』、『コズモポリス』、『墜ちてゆく男』、そして短編集である『天使エスメラルダ 9つの物語』も読んだ。
今回読んだ『ホワイトノイズ』はそのどれよりも古く、彼がアメリカで初めて一般に知られるようになった小説である。それが去年の暮れに都甲幸治らによって再度翻訳され出版されたのである。そして、この本もご多分に漏れず二段組で 300ページを超えている。彼の本は却々 Kindle化されないので、仕方なく紙の本を買って読んだ。
この小説もまたべらぼうな小説である。主人公はジャック・グラッドニー。ヒトラー学を教える大学教授である。彼は4人目にして5番目の妻であるバベット(バーバ)とそれぞれの連れ子合計4人と暮らしていて、それ以外にもお互いの別れた相手に引き取られた子供が何人かいる。
目次の次のページで【主な登場人物】を読んだときには、誰が誰の結婚相手で、誰が誰と誰の子供なのか、あまりに入り組んでいて、果たしてこれは読んでいてついて行けるだろうかと心配になったが、別れた配偶者たちはともかく、4人の子どもたちはそれぞれにキャラクターがしっかりと描かれており、小説を進めるためにそれぞれが違った役割を担っており、意外にするすると読み進めた。
その他には、同じ大学の客員教授であり、ジャックの親友とも言える存在として、エルヴィス・プレスリー研究者のマーレイや、常に他人から身を隠していてまさに神出鬼没の神経科学研究者ウィニー、そしてまるで放浪者のようなバーバの実父ヴァーノン・ニックなども登場するが、約100ページ続く第一部「波動」はほとんどグラッドニー家の中の話である。
ここではジャックとバーバ、そして同居する4人の子どもたちのうちの年かさ3人(ハインリッヒ、デニーズ、ステフィ)との会話が延々続く(末のワイルダーはまだあまり言葉を喋る年齢に達していない)。読んでいても果たしてこれに何かの意味があるんだろうかと思うような、途方もない会話を延々と読まされるのである。
そう、この小説はまさに議論小説であるとも言える。登場人物同士が脈絡もなく延々とあーでもないこーでもないと言い合っている。
ハインリッヒはまさに屁理屈と言うにふさわしい屁理屈を駆使して父親に食い下がる。デニースは母親が隠れて何かの錠剤を飲んでいることに気づき、心配し、父親とともにバーバが何を飲んでいるのかを探り出そうとする。
ジャックとバベットはともに相手が喜ぶセックスをしたいと言って譲らない。そして、お互いに死の恐怖に取り憑かれ始める。それはバーバのほうが先で、ジャックもその後、第二部の「空中毒物事件」を経て、強烈にその観念に取り憑かれる。彼らは死にたくない。そして、死の恐怖から逃れたいと切に思う。
第二部の「空中毒物事件」で、彼らはどうしようもない混雑と混乱の中、避難所まで移動し、さらに風向きが変わったために新たな場所への避難を強いられる。
おかしいのは、空気汚染を心配するステフィに大丈夫だと言い聞かせるジャックの根拠だ。彼は、自分は知的エリートの大学教授だから大丈夫、災害の犠牲者になるのは貧困層と決まっている、と大真面目で言うのである。
しかし、そんな彼も“有毒の雲”を吸ってしまって以来、死の恐怖から逃れられなくなる。
そんな風に死を恐れて、とんでもないことまでやり始めた夫婦に対して、(これはあくまで僕の理解だが)その対極の存在として描かれている人物が2人いる。
ひとりはジャックの義父であるヴァーノンである。彼はある日突然グラッドニー家に現れ、明らかにいろいろと健康問題を抱えているのに「俺のことは心配するな」と言い放つ。
死の恐怖に慄くジャックに対して、「俺の年だとみんな足を引きずる」「咳をするのは健康なことだ」「不眠症も大丈夫だ」「セックスしておくさ」「煙草は忘れてくれ」などと言い放ち、自分が持っていたピストルをやると言って押し付けて去って行く。
そして、もうひとりは同僚のマーレイである。彼はジャックに対して、「世界には殺す者と死ぬ者がいる」という穿ったことを言う。「殺人を企てることは生きることだ」などと奇想天外な理屈を展開して、ある程度ジャックを丸め込んでしまう。
この辺りの脇の人物のあしらい方が皮肉である。そして、もうひとり皮肉な人物を上げるとすれば、それはジャックの息子ハインリッヒの友だち(上級生)であるオレストだ。彼はただギネスブックに載りたいというだけで、毒蛇が何十匹も入った檻の中で何十時間かを過ごそうとしている。毒蛇に噛まれて死ぬということを全く想定していない。
そんな人物たちによるべらぼうな議論を経て、最後に小説はとんでもない展開、と言うか惨憺たる事件を引き起こしてしまう。しかし、とんでもない展開からまた、「そんなことってあるか!?」と言いたくなるような、とんでもない日常に戻ってしまう。
この辺りの進み行きが如何にもデリーロで、本当に重くて苦しくてぶっちぎりのすごい小説である。
これ以上は詳しく書かない。これまでの彼の膨大な著書と同じく、読み終えた時のガツンとやられたような、がっくりと来たような、煙に巻かれたような、何と形容して良いか分からない複雑でひたすら重い読後感から却々抜けられずにいる。
なお、いつも通り Amazon へのリンクを張ろうと思ったのだが、Amazon には在庫がないようだった。
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