映画『波紋』
【5月27日 記】 映画『波紋』を観てきた。荻上直子監督には最初の頃は熱中したのだが、ある時期からこの映画作家はダメだと絶望して、それ以来全く観ていなかった。
何に絶望したかと言うと、この人はいつも人の悲しみを描いているようで、それが何の悲しみなのか、過去に一体何があったのかということを具体的かつ明確に描かないまま、なんか仲間たちと触れ合っていると、あらあら不思議、それがちょっぴり癒やされました、みたいな作りをしていると思ったからだ。
それは観ている人々に全く根拠のない希望を与えてしまうことになる。それではダメだと思った。げっそりした。むかっ腹が立った。まるでインチキな新興宗教みたいな手口ではないか。
前作『川っぺりムコリッタ』は随分評判が良かったのでよっぽど観てみようかと思ったのだが、やっぱり今までと同じような映画なのではないかという思いが拭えなくて、どうしても見に行けなかった。その後 WOWOW で放送した際に録画もしたのだが、どうしても観る気にならず、結局消してしまった。
それほど絶望していたのである。
それが今回は少し風合いが違うような気がしたのだ。奇しくもインチキな新興宗教が描かれた映画だ。実に『トイレット』以来 13年ぶりに映画館で観た荻上作品である。
で、果たして、観てみると、それはニュー荻上直子だった。いや、13年も観ていないわけだからそんなことを言う根拠も資格もないし、そもそも 13年も経てば誰だって変わるだろうと言われるだろうが、少なくともそこにあったのは僕が長らく忌避していた荻上直子ではなかった。
しかし、それにしてもこの映画はさながら筒井真理子ショーだった。
福島原発事故による放射能の不安、寝たきりの義父の介護、ある日突然家族を捨ててぷいっと出て行ってしまった夫、自分から離れて行った息子、そして自分は更年期障害。──そんな不安と孤独と何故自分だけがというモヤモヤから、須藤依子(筒井真理子)は怪しげな新興宗教に縋りつくしかなかったのだ。
そして、義父は死に、夫(光石研)は突然帰ってきて実は自分は癌で治療費が要ると言い、パート先のスーパーでは変な客(柄本明)に絡まれ、隣家の主婦(安藤玉恵)とは猫のことで揉め、息子(磯村勇斗)は6歳年上の聴覚障碍を持つ女性(津田絵理奈)を連れて帰ってきた。
10年ぶりに帰ってきた夫と2人で食卓を囲んでいるシーンでの、無言の2人からゆっくりゆっくりどこまでも引いていくカメラが怖かった。
新興宗教のメンバーにはキムラ緑子、江口のりこ、平岩紙と曲者女優ばかりを宛てて、そこはかとなく不気味だ。唯一教団と関係ない友人で、同じスーパーの掃除婦には木野花が扮しており、他にムロツヨシもいて強烈なキャスティングである。そして、ほとんどみんなぶっ壊れている。
今回の映画は全く予定調和めいたところがないのが良かった。伏線の回収とか無理筋のハッピーエンドとか、そんなことは全く考えていない。観客に共感してもらおうともしていない。目に見える救いはどこにもなくて、ただ、ところどころに滑稽さが香る。でも、決して断罪もしない。
そう、人生ってそういうものなのだ──と僕は思った。
癌になったと言っても誰もどこの癌なのかを訊かず本人も言わないとか、プールで倒れて何日も入院しているが何の病気なのかさっぱり分からないとか、その辺りの抽象性は昔からの荻上直子の悪癖のような気はした。そして、ラストのシーンでは一応天気雨という想定なのだろうけれど、いくらなんでもあれだけ明るくてはっきりと濃い影が出ているところにあんな激しい雨はないぞ、と思いもしたが、今回の不満はそれくらいのものだ。
放射能汚染を避けるためのペットボトル、花壇と枯山水、新興宗教の水(波紋と飲水とスプレー)とプールと雨など、よく練られた舞台装置で人間の業みたいなものを見せてもらった。そして、ラストシーンには確かにカタルシスがあった。
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