『女の子の謎を解く』三宅香帆(書評)
【5月12日 記】 それまで全く知らなかったのだが、note で三宅香帆を見つけて読んでみて、物の見方が非常にフラットなことに感銘を受けた。それでこの本を読んでみたのだが、こちらも非常にフラットで、しかも明晰な分析である。
いや、フラットな上に明晰という表現は正確ではなく、物事の奥深いところまでしっかり見据えているからこそ、そのフラットさが保たれるのだろうと思う。
ものすごく雑駁な言い方をすると、この本は女性と社会について書かれたものだが、彼女自身が女に生まれたことに対する呪詛めいた表現は全くない。
もちろん彼女自身の中にも今の世の中が女性をどう扱っているかということについては大いに不満もあるはずなのだが、そういうことはあくまで冗談めかした表現で短くインサートされているにすぎない。
つまり女という立場から女を語ったりはせず、ただ人間として社会を見、読者として作品を語っているのである。そのスタンスと文章のリズムには小気味良いものがある。
「あとがき」で彼女は「けっこうずっと『批評』が好きでした」と書いている。そして、
世の中で「批評」という言葉が、あまりいいイメージではなく、上から目線で語ることのように使われているのが、なんだかなあ、とずっと思っていました。
と続けている。これは僕も全く同感である。僕自身も、自分が書きたいのは読書感想文ではなく書評だと思っているから。
そして、こういうフラットな物の見方ができる人こそが、真の批評家になれるのだと僕は思っている。
この本では、ありとあらゆる小説、漫画、映画、テレビドラマ、アニメに登場するヒロインたちと、そのヒロインたちを取り囲む環境を片っ端から分析している。
『源氏物語』から始まって、僕でもタイトルだけは知っている少女漫画の代表作、ディズニーやジブリの名作、『ルパン三世』の峰不二子、『逃げ恥』、『アナ雪』、『映像研』、AKB と坂道アイドルたち、小津安二郎、『寺内貫太郎』、村上春樹、そして上野千鶴子をはじめとするいくつかの評論も網羅してある。
もちろんこれらを全部残らず読んでいる読者はいないだろう。でも、彼女の筆致を追っていると、知らない作品や作家についての文章でも充分に楽しめる。ここが彼女の素敵なところで、彼女は単なる評論家ではなく、自分の文章を楽しく読者に読ませる文筆家なのである。
ヒーローやヒロインの陰には必ず彼らを支え、ケアする人間が必要となる。もちろん昔の作品ではヒーローやヒロインの、そんな裏側なんて描かれていなかったかもしれない。でも、人が実際に生きて行く上では絶対にそういう存在が必要なのだ。
それは人は休まないと生きていけないからだ。そして、かつてはそういう役割を一手に引き受けてきたのが女性だった。その社会が少しずつ変容し始めており、そのことが作品の中にも反映され始めているというのが、彼女が最初のほうに書いている論旨である。
以下、いくつか文中から引用してみる:
ある種の大人になる通過儀礼の景色のように、少女は働く。少年漫画だとそれは「冒険」になるのかもしれない。しかし少女は、大人になるために、働くことが多い。
女性の内部で分断が起きるのは、そもそも女性たちが女性としての自分──「産む性」として見出されるからである。
「自分の性に対する戸惑い」なんて、本当に自分が持っていたか? と考えると、どうなんだろうと首を傾げてしまう。それに白馬の王子様に守られたい願望とか、とくにない。
そんなふうに考える女の子たちが増えた結果が、平成の少女漫画だったのだろう。ちょっとださい言い方になってしまうが、AKB48 は、「新自由主義のなかで誕生したアイドル」だからだ。
日本のホームドラマとは、娘が他の家で母になるまでの物語なのである。
娘がどこかで母の不完全さを知るプロセスというものが、母娘問題のなかでは必要なのかもしれない。
ここにはあえて上記の文章がどの作品に触れたものなのかは書いていない。それは皆さんが読んで確かめていただきたい。僕にはとても説得力があったし、とても面白かった。
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