私の本棚
【5月7日 記】 かつてやっていた個人ホームページ wise word web はもう閉じてしまったので、今ではネット上のどこにも存在しないのだが、かつてそこに連載していた本のコラムに、僕は
他人の本棚やCDラックを見るのはとても楽しい。
その人の嗜好や人格のルーツを覗き見たような気になってしまう。
と書いた。それは他人の本棚やCDラックだけではなく、自分の棚やラックでも同じである。そこにあるのはあの頃の自分なのだ。
ところが僕はある時期から本はできるだけ電子書籍で読むようにして、かさばる紙の本をどんどん処分し始めた(ほとんどは book off などに売った)。だから、「あの頃の僕」を知る材料はほとんどなくなってしまったのである。
しかし、気づいたことがある。本を処分したと言っても全部を捨てたわけではない。そこには残した本もあるのである。
たとえば僕はクレイグ・ライスの本は全部残してある。それは、彼女の著作を得るのは、紙であれ電子であれ、今後容易ではないだろうと踏んでいるからだ。
たとえば僕は、何度か書いているように、村上春樹のファンで、彼の長編は全部読んでいる。短編集も結構読んだ。そして、彼の本は売れているので、今後紙であれ電子であれ、もう一度手に入れることは容易だろう。だから、その多くを気軽に処分した気がする。
しかし、残した本もある。今僕の本棚に残っているのは、
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
ノルウェイの森(上・下)
騎士団長殺し(第1部、第2部)
1Q84(Book1-3)
だけである。
はっきり言って、何故これらを残して他の本は処分したのだろう?と不思議である。
『1Q84』は、読み始めた時はまだ紙だったので、その延長上で買い続けており、これが完結するまでは捨てにくいという、これは解りやすい事情である。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は初期の好きな作品だったから残したのだろう。それも分かる。しかし、ならば『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』は捨てて良かったのか?
実は僕は今この初期の3部作を再読したくて仕方がないのである。そして『ダンス・ダンス・ダンス』も。だが、当時の僕はそれらを処分してしまった。そんなものである。
そして、『ノルウェイの森』。これはなんで残してあるのか? 僕はこの小説にはそれほど感銘を受けなかったような気もするのだが…。あるいは僕の記憶がどこかで書き換えられてしまっていて、当時は大感激したのだったか?
それとも人気の高い、評価を得た作品だったから残したのか? 人気や評価の割には自分にはそれほどしっくり来なかったので、読み直そうと思って残したのか?
『騎士団長殺し』も同じ。ことさらこれを残した理由は何だったのか?
今となってはその辺のことがさっぱり分からないのである。そこには僕の知らない僕がいる。
そして、知らない自分について考えるのもまたとても面白い体験である。
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