『街とその不確かな壁』村上春樹(書評)
【5月1日 記】 小説の終盤に達し、残りのページ数(と言っても僕が読んでいたのは Kindle版だったので%表示だったが)がほとんどないことに気づきながら、これはどうやって締めるのか?と考えながら読んでいたら、あ、そこで終わっちゃうのか?
──僕が読み終えて最初に何かを書けるとしたらそのことだった。
村上春樹のファンなら誰もが思ったことだろうが(そして村上自身も「あとがき」で触れているが)、読み始めて割合すぐに、これは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に似た構成だなと思った。
と言っても、例によって僕は中味をほとんど憶えていないのだが(笑)
ひとつだけはっきりと憶えているのは、交わらない2つの物語を訳が分からないまま読み進めさせられた挙げ句、最後の最後になって鮮やかに「辻褄が合った」という感慨だった。
それに対してこの『街とその不確かな壁』は無理やりに辻褄を合わせようとすることを拒否するような小説だったのではないかなと感じている。
それは何と言うか、いきなりスターになってしまったデビュー間もない作家ではなく、変な言い方だが、結局芥川賞もノーベル賞も獲れないまま 70代に達した老練な作家ならではの作品のような気がするのである。
そもそもがこの小説は、村上が『羊をめぐる冒険』の前に書いて発表したが、自分ではあまり納得が行かず唯一出版されていない『街と、その不確かな壁』という小説を約40年ぶりに書き直したものだと村上は書いている。
その 40年という長いインターバルの重みがこの小説に表れているような気がするのである。
17歳の「僕」は、ほとんど体に触れることさえない関係ではあったが、16歳の彼女との恋に落ちて、かけがえのない、親密な交際を続けていた。それが、ある日突然、彼女は忽然と姿を消してしまう。
そして、40代半ばに達した「私」は、気がついたら突然、彼女がいつも語ってくれた壁に囲まれた不思議な国にいて、影を奪われて目を傷つけられて、そこで<夢読み>の仕事をすることになった。
それとは別に東北の街で図書館長になった「私」の物語(これが壁の中に入ってしまう前なのか後なのか最初は分からない)もふんだんに語られるので、この小説は二重構造というよりは三重構造である。
物語の主要な部分を形作っているさまざまな要素は、如何にも村上春樹という感じの、彼の小説で何度も使われてきた「装置」であるという感じがする。
その3つの物語は、ある部分で読者を巧く騙して、ドンデン返し的な展開にはなる。しかし、辻褄は合わないまま小説は終わる。いや、「辻褄」を語ることをせずに作家は話を閉じている感じがある。
その分、(めちゃくちゃありきたりな表現だが)深いと言うか、いろいろ想像が膨らむし、いろいろ考えさせられるのも確かなのだが、逆に村上春樹は決してそんなところを狙っていないという印象が極めて強いのである。
いつものように奇想天外な設定をさらっと組み込んだ小説なのだが、それはただ村上春樹が世界はこういうものなのだと感じるところを素直に描写しただけの物語に思えて仕方がない。
読み終えてすぐの今、僕が書けるのはその程度のことである。他の人がどんな感じ方をして、どんな解釈をしているのか、これからいろいろ読んでみたい。
読み終わってからもこの先、まだまだ僕の感じ方は変わって行くような気がする。
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