アドレスという言葉
【4月23日 記】 アドレスと言えば今では@を含んだメールアドレスのことを指すが、昔は住所のことだった。──などと書くと、我々の世代は「何を当たり前のことを」と思うだろうが、物心ついたときからメールがあった世代は「え、そうなの?」と言うかもしれない。
ちなみに、当然のことながら、電子メール(この言い方も既に死語だ)がなかった時代には、メールは郵便もしくは郵便物の意味だった。
僕らはみんなアドレス帳というのを持っていた(手帳の中に組み込まれていることも多かったが)。
「それって住所録のこと?」と訊く人がいるかもしれないが、住所録は学校や会社やいろいろなグループ/団体が作成してメンバーに配布するもの。それに対してアドレス帳は個人が自分にとって必要な人の分だけを書き写したものである。
ちなみに、僕が死ぬほど好きだったおかわりシスターズの『素顔にキスして』(詞:峰岸未来、曲:後藤次利)にはこんな歌詞がある:
ねむりかけた積木の街 アドレスは確かこのあたりよ
これは昔つきあっていた彼のことが忘れられずに、アドレス帳を頼りに彼の家の近くまで来てしまった(つまり彼の家には行ったことがなかった)女の子のいじらしい姿を歌った歌だ。結局彼女は「ロマンス色の便箋」にメッセージを書いて彼の家のドアに挟んで帰るのである。
この歌が発表されたのは 1985年。メールアドレスはおろか、スマホはもちろんのこと、ガラケーも PC もまだなかった。
その 10年前の 1975年に発売された荒井由実の『あの日にかえりりたい』(詞曲:荒井由実)にはこんな歌詞がある:
今愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで帰るわ あの日に
そう、当時は皆こんな感じのコミュニケーションをしていたのである。アドレス帳を頼りに彼の家を訪ね、彼がいない家の扉にメッセージを書いて挟んだり、握りしめてきた彼のアドレスを書き写したメモ用紙を意味ありげに挟んだりして帰ったのである(荒井由実のこの歌詞には他にもいろいろな解釈が成立するとは思うが…)。
そして、それでも彼女たちは、ひょっとしたらそれから何日も、もしかして彼から何か連絡がないかと一縷の望みを託して連絡を待っていたのかもしれない。Please Mr. Postman の世界である。
アドレス宛にメールを送ったけど返信がない、メーラー・デーモンからアドレスが存在しないと言われる、あるいは LINE を送ったが既読にならない、着信拒否されている──みたいな感じでわりとあっさりと決着してしまう今のコミュニケーションとは大違いである。
その大違いなコミュニケーション共通に、アドレスという言葉がずっと使われ続けていることが時々なんだか不思議になるのである。
アドレスという言葉は、結局のところ、その時代のいちばん大事な連絡ルートを指す言葉として生き残ってきているような気がする。
Comments
最後の一文、ぐっときまっした。
Posted by: 宮田収 | Wednesday, May 03, 2023 08:56