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Sunday, March 05, 2023

映画の邦題を考える

【3月5日 記】 昨日も少し書きましたが、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』というタイトルはちょっとないよな、と思うのです。

もちろん映画の邦題というものは、どういうタイトルにしたらその映画が当たるかを考えて付けるものだから、そういう観点からはこの邦題が良いと判断したのかもしれません。でも、だからと言って翻訳の努力を放棄しないでよ、と思うのです。

こういう傾向は 20年以上前からあって、当時自分のホームページ(現在は閉鎖)にも書いたのですが、例えば『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)とか『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)とか、原題をカタカナに置き換えただけのものが前世紀の終わりごろから急に横行し始めたのです。

いくら日本人に英語が浸透してきたと言っても、あまりに手抜きじゃないでしょうか? そして、カタカナにすると長すぎやしませんか?

英語の EVERY THING EVERY TIME ALL AT ONCE であれば9音節ですが、日本語カタカナの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』になると 21音節にもなってしまいます。邦題としてはいくらなんでも長すぎると思うのです。

「いやいや、だから『エブエブ』という略称を前面に出して宣伝を展開していて、その言い方は結構浸透してるし」などと配給会社は言うのでしょうね。はい、配給会社が何も考えていないと言う気はありません。ただ、翻訳するという作業を諦めないでほしいのです。

かつて、Pépé le Moko(1937年、ペペルモコは主人公の人名)を『望郷』、Waterloo Bridge(1940年)を『哀愁』、September Affair(1950年)を『旅愁』と訳した先人たちの叡智を思い出してほしいのです。

グルノーブル冬季オリンピックの記録映画であった 13 Jours en France(1968年)を「フランスでの13日間」という無味乾燥な原題から『白い恋人たち/グルノーブルの13日』という邦題に変えて、映画本編も、フランシス・レイによるテーマ曲も大ヒットさせた先人たちの努力を思い出してほしいのです。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は長すぎるだけではありません。エブリシングとエブリウェアは概ね大丈夫だと思うのですが、日本で英語が広まったとは言え、オール・アット・ワンスの意味が分からない日本人はまだいるんじゃないかと思うのです。

そういう人たちには不親切じゃないかな、と思うのです。

『アバウト・ア・ボーイ』(2002年)というタイトルをある人が「いい加減な少年という意味だ」と語っているのを耳にしたことがあります。そういう間違いを生んでしまうのが投げやりにカタカナに置き換えただけの邦題ではないかと思うのです。

カタカナのままのほうが映画がヒットすると判断したのだと言うのであれば、それはまだ理解できるのですが、ある映画関係者が「映画が日本で公開されるときには既に原題が広まっていて、そのイメージが染み付いているから」と言っているのを聞いて随分腹を立てたことがあります。

広まっているのは業界内の話でしょ? 一般人は邦題が決まって予告編が流れ始めるまでその映画のことは知りませんよ。そんな理由でカタカナほったらかしにするのは怠慢であり職務放棄じゃないかという気がしてなりません。

もちろんカタカナのままのほうが良い場合だってありますし、カタカナのままで大ヒットしたケースもありますし、そのことによって日本では知られていなかった単語が定着したというケースもあるのは承知しています。

例えば『ゴッドファーザー』(1972年)とかとか『エイリアン』(1979年)とか『ET』(1982年)とか『ターミネーター』(1984年)とか『アバター』(2009年)とか…。でも、日本語/カタカナになってもみんな短いですよね。そこが救いだと思います。

そして、どれも主なキャラクターを端的に表したタイトルだからこそ、そのままもで良かったのだと思うのです。

以下に昔の映画の原題と邦題を比較したものをいくつか並べてみます:

  • Bonny and Clyde 『俺たちに明日はない』(1967年)
  • Butch Cassidy and the Sundance Kid 『明日に向かって撃て!』(1969年)
  • The Turning Point 『愛と喝采の日々』(1977年)
  • An Officer And A Gentleman 『愛と青春の旅立ち』(1982年)
  • Terms of Endearment 『愛と追憶の日々』(1983年)

どうですか? 今どきそういうセンスのタイトルは流行らない、と言われるかもしれません。それは確かにそうですね。でも、こういう努力を私は尊いと思うのです。

Brazil を『未来世紀ブラジル』(1985年)、The Fabulous Baker Boys を『恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)としたように、決してカタカナに置き換えるだけの作業では終わらせないのが、邦題を付ける人の矜持であったのではないかと思うのです。

いつからカタカナに置き換えるだけの安易なタイトルが当たり前になってきたのでしょう? いまや邦題はカタカナだらけです。

John and Mary(1969年)の邦題が『ジョンとメリー』だったのに対し、Thelma & Luise(1991年)が『テルマとルイーズ』ではなく『テルマ&ルイーズ』になった辺りが象徴的です。英語のままにするのがそんなにキャッチーだったんでしょうか?

日本人と外国人の言葉に対する感性はかなり違います。だから、外国語そのままのタイトルが日本人の心に響くとは限らない、と言うか、日本人にとっては「なにそれ?」と思えるものも少なくないと思うのです。

2013年の Frozen は『アナと雪の女王』になりました。この邦題が『フローズン』とか『凍結』とかだったら、あんな大ヒットにはならなかったのではないかと思うのです。

カタカナそのままではないタイトルがもう少しあっても良いのではないかと私は思うのですが、皆さんは如何でしょうか?

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