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Thursday, March 23, 2023

映画『ひとりぼっちじゃない』

【3月23日 記】 映画『ひとりぼっちじゃない』を観てきた。伊藤ちひろ初監督作品。原作は伊藤が10年をかけて書いた小説なのだそうだ。脚本ももちろん伊藤である。

伊藤ちひろは行定勲監督の子飼いの脚本家という感じで、事実彼女が脚本あるいは脚本協力でクレジットされている映画で僕が観たのは7本とも行定監督作品だ。

しかし、最後に見たのが 2014年の『円卓』で、あれ?そんなに間が空いたかな?と思ったのだが、なんと「堀泉杏」が彼女の変名だったとは知らなかった。となると『ナラタージュ』、『窮鼠はチーズの夢を見る』(この2本もまた行定作品)、『母性』まで合計 10本観ていることになる。

要するに結構好きな脚本家なのである。しかし、それにしてもこの映画はおっそろしく観るのがしんどい映画だった。じっと観ているのが本当に骨が折れる。ともかくなんだか分からないのである。

それに長い。映画全体の尺も長いが、カット変わりがやけにゆっくりで、人がいなくなった風景をずっと撮っていたりする。今となってはこういうテンポは大変疲れる。

主人公のススメ(井口理)は歯医者で、宮子(馬場ふみか)のことが好きだということぐらいは分かるのであるが、宮子が何の仕事をしている人なのかも分からない。そう言えばパンフレットで主人公の名前を知ったのだが、映画の中で名前を呼ばれることはなかった。

宮子の勤め先も原作には書いてあるらしいが、映画を観ていると一体彼女は何で生計を立てているんだろうと不思議になる。彼女は坂を上がって折り返したところにある不思議な造りのアパートに住んでいて、玄関は多分2階にあって、階段を降りて突き当たりの 101号室が彼女の部屋だ。

不思議はそれだけではない。幻想的なシーンがやたら多く、どこまでが現実なのか区別がつかない。いや、もしかしたら、この話全部が主人公の妄想なのかもしれないという気がしてくる。

ススメは宮子の家を頻繁に訪れ、ついにキスをして、やがて体も交わすのであるが、宮子にはどう考えても他にも男がいるようにしか見えないし、突然現れた蓉子(河合優実)と宮子の関係もなんだか分からないし。

宮子が部屋の鍵を一切かけないので、ススメもそうだがいろんな人が勝手に入ってきて、寝ていたり、飲み物を飲んでいたりする。宮子の部屋はベランダだけでなく部屋の床まで緑の植物に溢れ、ハンモックやらぼんやりとしたスタンドやらいろんなものがあって、ものすごく不思議な感じ。

そこに宮子が寝ていたり、宮子とススメが並んで寝ていたり、その2人の間に宮子の友だちの蓉子が挟まって寝ていたり。そうかと思えば詳しくは書かないがススメが2人いたりもする。

ススメは自分でレバニラ炒めを頼んでおいて、レバーを一生懸命取り分けているし、ごく普通に道を歩いていたかと思うと突然コケて倒れるし、そこを通りがかった車に轢かれて松葉杖になるし、しかし、倒れた瞬間にフレームアウトしているから観客には何が起きたのかさっぱり分からないし。

そう、カメラワークも独特で、こちらはかなり面白い。伊藤ちひろは「私に映画的知識が勉強できていないということもあった」と言っているが、師匠の(そして、この映画の企画・プロデュースの)行定勲は「空間の捉え方に独創性が溢れている」と言っている。

まさにその通りである。宮子の部屋の色彩感覚や、ススメと宮子を2ショットで捉える時のアングルの面白さ。階段を降りる途中で上のほうにいるススメと下まで降りてきている宮子が今見た芝居について語るのを切り返し切り返しで撮った映像や、ススメが這いつくばって行って宮子の足首にプレゼントのアンクレットを嵌めてやるシーンとか、本当に印象的なシーンが多い。

でも、それだけになんか映画全体に抽象的なイメージができてしまう。こういうのをずっと見せられていると、だんだん本当にしんどくなってきて、映画館を出ようかという気にさえなる。もうとにかくなにがなんだか分からないのである。

井口理を初めて観たのはもちろん役者としてではなく King Gnu のキーボーディスト及びボーカリストとしてだった。芝居をしているのを最初に観たのはこれも行定監督の『劇場』だったが、その後ちょこちょこ映画やテレビに出始めて、オファーは途切れずにあるようだ。

今回の井口は今まで決して観たことがないくらい覇気がなくイケてない感じで、一瞬別人かと思ったくらいだ(ちなみに伊藤ちひろは井口の出演が決まってからかなり井口用にアテ書きをしたのだそうだ)。そして、馬場ふみかも監督に「耐えられなくなる限界まで、ゆっくり喋ってほしい」と言われ、その通りの芝居をしていたので、こちらもすぐに彼女だと気がつかなかった。

この辺りもこの映画が浮遊感に溢れている所以である。

で、このしんどいしんどい映画を辛抱して辛抱して最後まで観ていると、終わり間際のススメが母の家を訪れたシーンになって、そのシーンで初めてリアルな生活感が出てきて、なんだかほっとして観ていると、ススメが語る内容のせいもあるのだが、不思議にここに吹っ切れた感じのカタルシスが出てくる。

あんだけ訳わからずにしんどかった映画に突然カタルシスが現れるのである。これはすごいと思った。

監督は自らが撒き散らした謎を一切回収しようとしない。逆に清々しいくらいだ。なんでも言葉で説明してもらわないと納得しない最近の若い観客たちはこの映画にどんな悪態をつくのだろう?(笑)

行定勲は「何が描かれているのかわからないということほど、映画として面白いことはありません」と言っている。僕も辛抱して最後まで見たらなんだか妙に納得してしまった。

しかし、一方で行定は「ある一つの法則を当てはめると、謎が解けていく」と言っており、(ここには書かないが)そのためのヒントも2つ挙げている。うむ、もう一回観るしかないのか?(笑)

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