映画『そして僕は途方に暮れる』追記
【1月25日 追記】 最初に書いておくと、これはこの映画や出演者を貶したくて書いているわけではない。ただ「ここは分からない」という話:
僕は前の映画評に、主人公の裕一について「僕は彼に共感のカケラも感じない」と書いた。
観た人の中にはそれほどでもない人、つまり、「いやぁ、自分にも多少そういうところはあるし、解る気もしないでもない」みたいな人もそりゃあいるだろうとは思う。
しかし、驚いたのはパンフに載っていた藤ヶ谷太輔のインタビューである。彼は自分が演じたクズ男・裕一について、こんなことを言っているのである。
共感というよりは、かっこいいなと思いました。逃げ出したいなという欲は、人間誰しもが持っていると思うんですよね。でも、逃げたとしても、いずれは本来の生活に戻らなければいけない。それを想像すると、どういう顔で戻ってくればいいか、どう謝ればいいかわからないから、みんな仕方なく踏ん張っている。その逃げ出したい衝動に素直に従っている裕一って、逆にカッコいい人なんじゃないかなって思うんです。
僕にはこれは全く理解できない。
僕は裕一の行動に「素直に従っている」などという表現を使う気にはならない。あれはだらだら流されているだけで、単なる弱さの表出だと思う。
あれほど他人に迷惑をかけ、負担を強いた男をなんでカッコいいなどと言えるのだろう?
いや、藤ヶ谷が彼を全面的に肯定しているわけではないことは分かる。
でも、それにしても、「どう謝ればいいかわからないから踏ん張っている」という理屈も分からない。君は本当にそんな理由で頑張ってきたの?と問い直したい気がする。
香里奈が演じた裕一の姉・香がいる。彼女はこの映画の中で裕一に対して唯一ビシッと物が言える人物だった。裕一からは金の亡者みたいに罵られていたけれど、もしカッコいいという表現を使えるとしたら、この映画では彼女だけではないか、と僕は思う。
他の人物は自分に多少の後ろめたさを感じてなのか、妙に裕一に調子を合わせてしまっている中で、香だけは、裕一から見たら「自分のことは棚に上げて」という感じなのだろうが、自分のことは棚に上げてでもしっかり相手を糾弾できるのはある意味カッコいいと僕は思う。
なんであれ、僕より下の世代のものの感じ方が変わってきている気がする。そして、それを若干不安に思う。
まあ、さすがに藤ヶ谷太輔も(僕が香を全面肯定するわけでもないのと同様)裕一をカッコいいヒーローとして持ち上げたりはしないのだろうけれど。
(ま、いずれにしても、観客が見終わった後にいろいろ考えてしまう映画は良い映画である)
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