標語に思う
【1月26日 追記】 JR秋葉原駅構内のエスカレータを降りていたら、壁に貼ってあるポスターに
目の前の人をよけるより、大事なことってなんですか?
と書いてあるのが目に留まりました。
これ、読んでにわかに意味が分からなかった人もいるのではないでしょうか? 僕がそうでした。実はこれ「歩きスマホはやめましょう」という主旨の標語だったんですね。隣にスマホのイラストが書いてあったのでかろうじて分かりました。
僕はそれが分かった瞬間に、「これはダメだな」と思いました。この表現は僕には全く響きません。
家に帰って調べてみたら、これは全国の鉄道事業者が 2018年からやっている啓蒙活動で、このコピーは昨年末に採用されたものらしいのです。
うーん、なんでこんなものが採用されたんだろう?と首を傾げました。他にもいろいろなコピーがあるようですが、他にはそれほどひどいものはなくて、
ぶつかった、とあなたは思う。
ぶつかってきた、と周りは思う。
なんてのは正直悪くないなあと思います。
それに比べて冒頭の標語について言うと、僕はこの「大事な」という表現が決定的にダメだと思うのです。
もちろん僕だって歩きスマホは良くないと思うし、スマホを見るよりも目の前の人にぶつからないことに注力してほしいと思います。でも、それは後者のほうが大事だからではありません。
今の時代、この問いに対して、「スマホのほうが大事に決まってるじゃん」と答える人が必ずいるはずです。そう、彼/彼女にとっては人とぶつかるなんてことは些細なことで、スマホで見ている情報のほうがきっとずっと大事なのでしょう。
だいいち、こんな問いかけをすると、逆に「じゃあ、お前の人生でいちばん大事なことって目の前の人をよけることなのか? ふーん、つまんねえ人生だなあ」などと言い返されたりしませんか?
大事かどうかって、あくまで主観ですからね。主観は人によって大きく違います。だから、主観で説得しようとすると失敗します。
人にぶつからないように歩くことはエチケットであり、都会で安全に暮らして行くためのルールなのです。どっちが大事かという問題ではありません。
だから、「あなたにとっては多分スマホのほうが大事なんだろうけど、混雑した街を歩くときにはその思いを我慢して、ぶつからないことに神経を注いでくれ。あなたにとってはネガティブなことなんだろうけれど、それが社会生活上守るべきルールなんだから」──というのが正しい言い方だと僕は思います。
それが個々人の主観に左右されないルールというものなのです。
「俺はあんなヤツ殺したってかまわないと思う」と言って誰かを殺すことを許さないということです。「人の命を尊重することより、大事なことってなんですか?」という問い掛けは全く無力です。
「目の前の人をよけるより、大事なことってなんですか?」という表現は単にぶつかられた人たちだけの間で共感が共有される表現であって、ぶつかってきた人に反省させたり、行いを改めさせたりする力は全くないと思います。
標語の役割は被害者が群れをなして語り合って鬱憤を晴らすことではなく、加害者の行動を改めさせることなのです。
だから、僕はこの表現を見て、ああ、これはダメだ、とげっそりしました。
しかし、家に帰ってきてググってみると、なんとこの標語が「刺さった」などと書いている御仁もおられました。びっくりです。本当に人の主観というのは様々ですね。
だからこそ主観で人を説得することはできないのではないでしょうか。
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