映画『夜、鳥たちが啼く』
【12月9日 記】 映画『夜、鳥たちが啼く』を観てきた。佐藤泰志原作、城定秀夫監督。
(今回少しだけネタバレを書いています。全く予備知識なしでこれから映画を観たいという人は読まないでください)
何が起こるというわけでもないのに、なんでこんなに余韻の深い物語を作れるんだろう。
思えば僕も学生時代には作家になりたくて小説を書いてみたりもしたのだが、僕が書きたかったのはまさにこんな風に、ほとんど何も起こらないのにずっしりと重みのある読後感を残す作品だった(書けなかったけど)。
不動産屋の前を通ったときに店のガラスに貼ってあった広告が裕子(松本まりか)の目に入る。それを食い入るように見つめていたかと思うと、慎一(山田裕貴)と息子のアキラ(森優理斗)に「先に遊んでて」と言い残して店内に入って行った裕子は、あの時何を考えていたのだろう。
とか
家に入る直前に、さっきまでやっていた遊びを思い出して「だるまさんがころんだ」をやって振り向いてみたら、慎一は全くこちらを見ていなかったと気づいた時、裕子はどんな思いだったんだろう。
とか、いろいろと考えてしまう。
やっぱり、これは何よりも脚本の高田亮がすごいのだと思う。佐藤泰志の小説はこれまでに5回映画化されており、最初の『海炭市叙景』以外は全部観てきた。いずれも素晴らしい映画だった。そのうちの『そこのみにて光輝く』と『オーバー・フェンス』が高田亮の脚本だった。
「自分のことばかり書いている」(と裕子に言われる)作家・岡田慎一の話である。その小説の中身を紹介することが直接この映画のストーリー紹介になる。
慎一が映画の前半で書いていたのは「嫉妬深い男の話」。同棲相手の文子(中村ゆりか)と彼女の勤め先の店長の関係を疑って問い詰めるまではまだ良かったが、暴力沙汰まで起こしてしまい、彼女は慎一の元を去って行く。
そして、後半で慎一が書いていたのは「恋人を先輩に取られる話」。慎一の家から出て行った文子は、なんと慎一が慕っていた先輩の邦博(カトウシンスケ)とくっついてしまう。それによって、慎一が理想の夫婦だと思っていた邦博と裕子は離婚することになり、住む家がなくなった裕子が慎一のところにやってくる。
裕子が車にわずかばかりの荷物とアキラを乗せて慎一の家にやってくるところから映画は始まる。この時点では上に書いたような説明はないので、観客には何のことだか判らない。トリッキーな始め方だ。
それは慎一にとってもウェルカムなことだった。文子と暮らしていた時から慎一は執筆のために軒先にあるプレハブ小屋にこもっていた。文子と暮らしてた母屋に戻るのは辛かったので、自分は完全にプレハブに引きこもり、母屋を裕子とアキラに明け渡したのである。
現在の話と回想部分が少し区別がつきにくく、時系列が分からなくなるなあと思いながら観ていたのだが、これは回想ではなく小説内小説、つまり、映画の中で慎一が書いていた小説の中身なのだそうだ。パンフの巻末についてた撮影稿にははっきりと「※ 小説内」と書かれていた。
ただ、いずれにしても私小説的な作品なので、これは回想とそれほど大きな差はないはずだとも言えるし、一方で現実の暮らしの中ではそこまでやりはしなかった暴力的衝動を小説の中で発露させたのだとも解釈できる。
城定監督は、各シーンともかなり長めのカットを使って、ともすれば鬱屈してしまいがちな日常を流れるように描いて行く。山田裕貴はインタビューに答えて「演じてるという感覚がなかったかもしれないですね」と述懐している。
そして、延々とそれを続けた後、ピザ屋のシーンでは慎一と裕子の会話を、2人の横顔の1ショットを切り返し切り返し描いている。あの転換がものすごく鮮やかだった。山田裕貴は言っている:
「想像してなかったんですよ。最後のピザ屋のシーンも。どういうふうになるんだろうね?ってまりかさんとも話してて、本番始まってみたら、ああなったんです。あそこまで明るくていいのかなとも思ってたし。やってみたら監督も何も言わなかったので、アリなんだって」
あと、印象に残っているのは慎一と裕子のセックス・シーン。これが、なんかもう、めちゃくちゃエロいのである。さすが城定秀夫。こういうのはキャリアによるんだろうなと思った。
あれは、「初めはお互いに距離を置いていた2人が、アキラを通じて心を通わせるようになり、やがて自然に結ばれた」なんてものではなく、単純に性的な衝動でまぐわったという感じのものである。城定秀夫も言っている──「ダメな2人が思わずやってしまったダメなセックス」と。
そして、夜、鳥たちが啼くのである。繋がりが不明なようであって、実に意味深長でもある。そう言えば真一の台詞で「向こうの幼稚園で鳥飼ってるんだよ。発情期で夜中でも啼くから」というのがあった。
他にも書きたいことは山ほどある。でも、この深い深い余韻を、僕は何と説明して良いのか分からない。
この映画は一言では表せないものを描いている。一言で表せるのであれば一言喋れば良いのである。そうでないものを2時間かけて描くのが映画というものであると痛感させられた。
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