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Friday, December 23, 2022

『桃の向こう』平山瑞穂(書評)

【12月23日 記】 この本を何故読もうと思ったかについては note に書きました:

これを読むとさらにその元となった平山瑞穂による note を読まなければという気分になるかもしれませんが、興味のある方は是非それもお読みください。

僕がこの小説を読み終えた最初の感想は、「なんや、面白いやん」でした。平山瑞穂によると、この本は多くの読者に「伏線が回収されていない」「オチがない」みたいな理解をされてしまって、セールス的にも失敗だったとのことです。

多くの読者は、煌子にその後何があって冒頭の桃の林のシーンに繋がったのかが書かれていないことに腹を立てたようなのですが、でも、僕はそれが書かれていないことに、「巧いなあ」と感心してしまいました。

そして、世の中にはこれほどまでにかけ離れた読み方があるのかと改めて愕然としました。

平山瑞穂がこの note のシリーズでもう一つ書いていたキーワードは「共感が持てない」ということでした。彼の書いた人物が読者の共感を得られなかったため良い評判が得られなかったのですが、しかし、そもそも共感を得る人物を書こうなどとは思っていなかったと彼は書いています。

僕はそれを読んで、「うん、分かる分かる!」と大きく頷きました。

世の中には共感を得られない人物はたくさんいるじゃないですか。でも、そういう人たちと折り合いをつけていくことが人が生きていく上でやるべき仕事なのであって、そういう人物を描くことが作家の仕事であると僕は思っています。

しかし、予想に反して、僕はこの本を読み始めた途端、主人公のひとりである来栖に大きな共感を覚えてしまったのです。

何と言うか理屈っぽくて、理念が先走りして、長いこと逡巡してからでないと何ごとも行動に移せなくて、にも拘わらず高邁な理想を一歩も譲ろうとはしない。──これはまさに若かったときの僕そのものだ!と思いました。

ひとつだけ違うのは僕は来栖みたいにしっかりと自分を押しきれず、こんなこと言うと嫌われないかと恐れてばかりで、気弱で頼りなく、ただただ神経質だったと思います。

でも、冒頭でそんな親近感を覚えてしまったものだから、もう読める読める!どんどんページが進みました。

そして、もうひとりの主人公である多々良の、来栖とは見事に対照的な、明るく、軽快で、ものごとにこだわりがなく、行動力に溢れた性格に、やっぱり自分とは対照的なものを見て、そして来栖が一方でちょっと毛嫌いしながら結局多々良に惹かれて行ったように、僕も彼に惹かれたのでした。

そして、3人目の登場人物が問題の煌子です。彼女は冒頭で今現在の姿が語られ、と言ってもそれは来栖が遠くから垣間見た姿でしかなく、その後ストーリーは今に至るまでの来栖と多々良を交互に描いて、結局その後の煌子は語られません。

平山瑞穂は、彼がそれを語らなかったのはそれが「語りえないもの」だからだと言っています。僕はその発言にとても深いものを感じ、そして深く同意しました。

結局僕はたまたま彼が読んでほしかった読み方ができたのであり、この作品に不満をぶつけた人たちはそうではなかったというだけのことなのでしょう。

どちらが正しいとか言っても始まりません。ただ、理解されなかったことの報いが、彼が作家として食っていけなくなるぐらいのセールス不振となって現れるのは、なんだか切ない限りだと思いました。

そして、もうひとつ、この本を手にして強く感じたのは、帯にある宣伝文句のどうしようもない的外れ感でした。

おまえも、あいつとつきあってたの?

一本気な真面目女子に、知らず知らずに振り回される正反対の男子2名。失われた10年を駆け抜けた、ほろ苦い恋と運命の行方は?!

不器用で不格好だったあの頃の胸キュンが蘇る

すべてのロスト・ジェネレーションに贈る愛と運命の青春純情小説!

なんじゃそりゃ? 全然ちゃうやん! この小説を読んで、一体どこからそんな宣伝文句が湧いてくるのか? ミスリードも甚だしい!──と憤慨してしまいました。

結局のところ編集者や出版社が優秀な作家を潰している面があるのではないでしょうか。

僕が今回書きたかったのは2つのこと。

ひとつはこの小説は決して帯に書いてあるような小説ではないということ。そして、もうひとつは、少なくとも僕が読むととても面白かったということです。

僕が買ったのは中古本だったので、平山瑞穂の収入に寄与できなかったのはとても残念です。

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