映画『土を喰らう十二ヵ月』
【11月15日 記】 映画『土を喰らう十二ヵ月』を観てきた。
去年 NHK BS プレミアムで『ふたりのウルトラマン』を観て、おお、中江裕司監督と言えば『ナビィの恋』ではないか!と、長らく忘れていた名前を思い出した。今回中江監督が撮ると聞いて、観てみようと思っていたのがこの作品だ。
食事の映画である。「料理 土井善晴」とクレジットされている。そして、原案は水上勉である。
主演は沢田研二。往年のスーパースターとは言え、今では少し地味なキャスティングである。共演の松たか子がいて少し華やかになる。
オープニングは予想に反して軽快なジャズ・ミュージック。これは真知子(松たか子)が運転する車のカーステレオらしい。東京から高速で信州に向かい、雪道を走ってツトム(沢田研二)の家に着く。ツトムは山の中の一軒家で、庭の畑で採れるものや山に入って採ってきたものなどで自給自足の生活をしている。
真知子が家に着くとまずはお茶+お茶受け、そして酒+肴と、いきなりいろんなものを振る舞われるのだが、この2人の関係が何なのかは分からない。真知子が「原稿は?」と言っているところからツトムは物書きでもあるらしいと分かる。
少し後にツトム自身のナレーションで、彼は禅宗の寺に養子に出されて、そこで精進料理を教わったが、13歳の時に寺を飛び出してしまったことが明らかにされる。そして、現在の彼の生活が編集者の目に止まり雑誌で連載を持つに至ったのである。
野菜や山菜の料理が次々と出てくる。料理を作ってそれを食べる──そのシーンが淡々と繰り返される。そして「立春」「啓蟄」に始まって「冬至」までの二十四節気のうちのいくつかを副題にしながら、季節の収穫物と季節の料理が映される。
まるで日記のような映画だ。
ツトムと真知子の関係性の微妙な変化とか、ツトムの亡き妻の弟夫婦(尾美としのり、西田尚美)と彼らと別れて暮らしている母(奈良岡朋子)の不仲とか、あるいはその母の葬儀とか、まあ、サイドで語られるストーリーはあるにはあるのだが、それほどいろんなことは起こらない。
ただ、今では我々があまり目にしない食材であり調理法であるので、かなり目は奪われる。いちいちここには書かないけれど、それはちょっと食ってみたいぞ、と思うようなものばかりだ(ただ、あそこまで菜食オンリーだとビタミンB12不足にならないかな、などと余計なことが気になる)。
季節の野菜と季節の料理を撮るために、監督はまずロケ地(ツトムの住む家)を決めて、その庭先の畑を耕すことから始めて、1年がかりで撮影したと言う。確かにどの素材も獲れたてで、どの料理もできたてである。土井善晴は沢田研二が元々料理をする人だったので大して指導はしていないと言っている。
で、映画がだいぶ進んでから漸く気づいたのだが、「ツトムさん」と言っているということは、そうか、沢田研二が水上勉なのか!と。
しかし、それだと時代が合わない。いや、山中の自給自足なのであまり時代が分かるものが出てこないのだが、しかし、給湯器や自動車は今のものだし、救急車の中で救急隊員が携帯電話をかけているシーンで、あ、やっぱり水上勉の設定を借りただけで、お話自体は現代なのだ、と分かった。
でも、現代だとしたら、ツトムが「口減らしのために9歳で禅寺に預けられた」というのはいくらなんでも、という気もしないではない。
まあ、でもそれは大きな瑕疵ではない。これほどのゆっくりとしたリズムで、これほどまでに(どんなシチュエーションにあっても)淡々と作っては食べ続ける様を描き、そして、どんでん返しも感動のラストもないまま終わるという、逆に言うとチャレンジングな企画に僕らはしびれるのである。
客の入りは良かったが、平日の昼間ということもあって爺さんと婆さんばっかりだ。若い人はこの映画をどう観るのだろうか? きっと「何が言いたかったのか分からなかった」みたいな人がいるんだろうなと思った。
でも、それは映画がこうですと言ってくれるもんじゃないんだよ。それは観客が勝手に見つけて自分に取り込んで行くもんなんだよ。ちょうどこの映画でツトムさんが採取して調理していたように。
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