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Sunday, November 20, 2022

映画『ある男』

【11月20日 記】 映画『ある男』を観てきた。

石川慶監督は特に好きな監督だというわけではないが、とても精緻な映画を作る人だ。この作品もしっかりと作り込まれている。

この作品については、僕は平野啓一郎の原作を読んでいる。と言っても、何を読んでも何を観てもすぐに忘れてしまう僕のことだから、例によってあまり記憶は残っていなかったのだが、今回は映画館に行く前に自分の書いた書評を読み直してみた。

そうそう、あれは該博な知識と多様な問題意識をぶち込んだべらぼうな小説だった。あのとき僕は「実際は彼は誰だったのかという謎を、読者を焦らせながら作家が解き明かして行くような小説ではない」と書いている。

それだけにこの映画化は、下手をすると原作の筋をなぞるだけのものになってしまうぞ、と心配したのだが、しかし、映画を観るとそれが全く杞憂であったことが分かる。長い話をよくここまでコンパクトに、そして芯を外すことなくまとめたと思う。脚本は向井康介だ。

この小説はちょっとトリッキーな構造になっていて、この小説の書き手である作家がとあるバーで初対面の男から身の上話を聞くところから始まる。しかし、そんなところから描いているととても2時間では終わらない。

映画のほうは、壁に掛かった絵の短いカットのあと、離婚して息子を連れて宮崎に戻ってきた里枝(安藤サクラ)が実家の文具店で泣いているシーンから始まる。

そして、この街にふらっとやってきた男・谷口大祐(窪田正孝)が雨の日に画材を買いに来る。やがて、2人はつきあうようになり、そして結婚し、里枝の連れ子・悠人(坂元愛登)の下に女の子も生まれ、家族4人が幸せに暮らしている。

しかし、ある日、林業に従事していた大祐が大木の下敷きになって死んでしまう。そして、その1年後、話を聞いてやってきた大祐の兄・恭一(眞島秀和)が遺影を見て、「これは大祐ではない。別人だ」と言い出す。

それで、里枝は離婚調停の際に世話になった弁護士・城戸(妻夫木聡)に調査を依頼する。──そんな筋だ。

今回のカメラマンはこれまで石川監督が組んできたポーランド人ではなく、近藤龍人だ。向井康介とは大阪芸大の同期で、僕は両者の大ファンである。長回しの多い人で、今回もそうなのだが、ものすごく印象に残るカットが多い。

大祐と里枝の(多分初デートの日の)鰻屋のシーンで、座敷に座る2人に長いやりとりをさせるのだが、カメラはじわりじわりと、下手すると気づかないくらいのスピードで寄って行く。とても緊張感のある、あるいは少し不吉な印象さえ残る撮り方なのだが、やがて下手の大祐が画面から外れて里枝の1ショットとなり、カメラはさらに彼女に寄って、彼女の涙ながらの独白が続く。

冒頭からこの辺りにいたるまで、安藤サクラの演技に完全に圧倒されてしまった。別に好きな女優ではないが、べらぼうに巧いのは確かだ。

そして、ここからどう転ずるのかと見ていたら、安藤サクラの台詞に被せてまるで捨てカットみたいな彼女の両手のアップ。そこから次のカットに移るのかと思ったら、その手を窪田が握る。──とても良いシーンだった。

そして、悠人の部屋で里枝と悠人が亡き大祐について語るシーンはやや引き気味の固定の長回しで、演技未経験の子役によくぞこんなプレッシャーのかかる芝居をさせたなあと思ったが、これも良いシーンになった。

あと、これは長回しではないが、宮崎空港に降りる直前の機内で城戸が、眩しい陽光が差してきて顔をしかめてシェードを降ろすシーンがあった。これなんかはストーリー上まるで必要のないシーンだが、こういうのが何かを物語るのである。

映画を途中まで見たところで、僕はいつものようにこの映画がどうやって終わるのかが気になり始めた。そして突然電撃的に、そうか、これはきっと小説の冒頭にあったバーのシーンを最後に持ってくるぞ、それしかないはずだ、と思ったらやっぱりその通りだった。この構成は大正解だったと思う。

余韻が深いと言うのか、あるいは最後の最後まで観客の心をかき乱すと言うのかは別として、素晴らしい終わり方だと思った。

城戸が調査を進めるに従って次第に大祐になりすましていた男の正体も明らかになってくるのだが、そんな中で、人はどうして他人になりたがるのか、あるいは、他人にならないと生きて行けないような人がいるのか、という原作で描かれたテーマのひとつをくっきりと描き出してくる。

城戸が在日三世だという設定がしっかりと効いている。

そして、この映画には嫌なことを言う人がたくさん出てくる。いや、会ってみたらそんなに悪い人ではないのかもしれないが、どうしようもなく体にこびりついた差別意識や優越感や社会に対する憎悪などを思う存分撒き散らしてくれる。

とりわけストーリーのカギを握る服役囚・小見浦(柄本明)は、その大阪弁がかなり気持ち悪かったが、もう憎たらしいことこの上なしで、さすが柄本明である。インタビューで妻夫木聡が「小見浦は関西弁も含め、何をやっても嘘っぽい」と語っているのを読んで、なるほど、じゃあ、あれで良かったのか、と納得した。

他にも城戸の妻・香織(真木よう子)のどことなく険のある態度、香織の父親(モロ師岡)の差別意識むき出しの不用意な発言、恭一の優越感に裏打ちされた芬々たる嫌らしさ、バーのマスター(芹澤興人)が唱えるめちゃくちゃな陰謀論等々、人間のあさましさと哀しさが余すところなく描かれている。

バーの壁にかかっていたのはルネ・マグリットの作らしいが、よくぞこんなぴったりの絵を見つけてきたものだと感心した。

石川監督に対して「具体的に言ってくれない」とかこつ役者も何人かいたようだが、映画自体は今回も極めて精緻な出来で、あっぱれな作品になったと思う。面白かった。

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Comments

私も安藤サクラに驚きました。

Posted by: ヤマグチ | Tuesday, November 22, 2022 17:13

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